文学フリマ感想/アイドル批評とアイドル界隈に対して思うこと

文学フリマが終わった。
http://d.hatena.ne.jp/jugoya/20101205



今回手に入れた本リスト:

『アイドル領域 vol2.5』ムスメラウンジ (http://d.hatena.ne.jp/musumelounge/)
メロン記念日楽曲大賞2000-2010』No Knowledge Product(http://nk.ysnet.org/
アニメルカ vol.3』アニメルカ製作委員会 (http://animerca.blog117.fc2.com/)
『恋愛ゲームシナリオライタ論集30人×30説+』theoria (http://d.hatena.ne.jp/then-d/)
『F vol.7』現代文化研究会 (http://gendai-bunka.cocolog-nifty.com/blog/)
『少女論』ウミユリクラゲ×くらやみ横丁 (http://umiyurikurage.sakura.ne.jp/syoujo-ron/syoujo-ron.html)
『未来回路1.0&2.0』未来回路製作所 (http://d.hatena.ne.jp/inside-rivers/)
『21世紀創作の現在』pop-life-works(http://blog.pop-life-works.com/)


今回はNo Knowledge Productとムスメラウンジが隣合わせで、前者は『メロン記念日楽曲大賞』や『what is Idol?』といったアイドル楽曲やアイドルそのものを主観的に評価・紹介することに重きを置いており、後者はアイドルに関わる「現象」を客観的に捉えようとする目線の同人誌であった。この正反対の性格を持つ両ブースは客層もまったく異なり、アイドルという同じ対象を扱っていながらここまで差が出るものかと驚いた。


現代文化研究会の『F』は「ガール」特集。修士課程以上の肩書きが並ぶ執筆陣で構成された同人誌であり、冒頭の基調報告ではジェンダーやバトラーといった単語が飛び出てつい身構えたが、各論はアニメ・Jポップ・小説・映画・雑誌・男の娘(!?)etcと非常にバランスの取れた対象が揃っており、文章は平易で非常に読みやすくそれでいて非常に興味深い内容だった。ただこの"現代文化研究会"による「ガール」特集でも、いわゆる「アイドル」というジャンルは、AKBが数回参照された他は、「ASAYAN」という名前がちらりと登場するくらいの程度であり、J-pop・映画といった枠組みから見事に抜け落ちるのがなかなか面白いと思った。宮台氏の文脈から少女を語る論考の筆者も、あとがきの「ガール10選」のラインナップを見てもなかなかの「アイドル」好きと思いきや、「自分はアイドルオタクではない」「ヌルすぎるラインナップにご容赦を」とエクスキューズが入れられていた。もはや今の「アイドル」は正面から語るのはもちろんのこと、「ガール」という曖昧な概念に絡めて語られる意味・必要性も無いのであろうか。


No Knowledge Productの方針は明確だ。アイドルというものは基本的には主観的にしか語りえない。いや、むしろ主観的だからこそ輝くものがある。『メロン記念日解散に寄せる』で寄せられた圧倒的な感情の吐露によるパワーと魅力は簡単には言い表せない。http://d.hatena.ne.jp/nhokuto/20100523/1274622023
また、アイドルをの魅力を「紹介」するという側面はアイドル界隈外への働きかけにもなっている。
一方、ムスメラウンジは購入層のターゲットが(サークル紹介にもあるように)文学・サブカル・思想といった文学フリマのメイン客層に絞られている。しかし、『アイドル領域』は「論文集」という形を取っているが、正直な話をすると主催の斧屋氏を含むわずかな層を除き、書き手のレベルが他ジャンル(例えば今日大流行のアニメ批評)に比べて相対的に低いのがどうしても気になってしまう。これはアイドル批評(批評と呼ぶのが正しいかわからないが)がマイナージャンルであり書き手の絶対数が少ない分避けられないことである。
アイドル領域が論文集でないと見るならば話は別である。アイドル領域の対象・切り口・文体は書き手によって様々で、それこそ「アイドル批評」という枠組みで収まらない点が魅力である。しかし、文フリ自体が「内輪で褒め合い同人誌を「交換」しているだけ」と批判される中、やはり『アイドル領域』もその批判対象の枠組から抜け出せていないように思われる。もちろん、我々はアマチュアである。自分の書いた拙い文章が集まって1冊の本になる、この感動だけでも同人誌を作る意義があるように思われるし、内輪で何が悪い、と言い返したくなる。それでもやはり、どうせ書くのならば面白い文章が書きたいし、内輪受けを越えた、外部に働きかける「何か」を書きたいという思いは誰しもが持っているであろう。


そういう点から改めて「アイドル批評」というジャンルを観察すると、非常に分が悪い。2010年こそ「アイドル戦国時代」と呼ばれアイドル業界全体が活性化しているように見えるが、十年単位のスパンでアイドル業界を見てきたファンからは、現在のアイドル業界に特別な目新しさはなく、すべて過去の焼き直しであるという声も聞こえる。「アイドル」は既に語りつくされており、これ以上新しく何かを語ることは不可能ではないだろうか、という疑問が浮かび上がってくる。
その例外は、やはりAKB48にある。おニャン子の焼き直しだという安易な批判もあるが、その完成されたシステムデザインは実に秀逸であり、斎藤環やとある経済学者などアイドル業界の外部からシステムの秀逸さを語る者も多かった。『アーキテクチャの生態系』で有名な濱野智史氏によるニコ動批評を援用したファン活動分析も、「システム」という点からアイドルを語るのにもってこいの題材であった。だが、システムのみに注目すると、アイドルというより「初音ミク」や「アイドルマスター」といった対象を語る言説に回収されていく。両者ともに非常に優れたシステムによって支えられているコンテンツである。
あくまで人間としてのアイドルにこだわるのであれば、システムだけでなくそこにコミットしていくファンの実存から目をそむけることは出来ない。実存を語る言葉はアイドル批評にあるのだろうか。その点を見ると、アイドル批評は恋愛ゲーム(エロゲー)批評に非常に似ている。物語の構造(システム)論、恋愛の不可能性、「他者」とのコミュニケーション、そして実存としての物語。文学フリマで購入したtheoriaの恋愛ゲームシナリオライタ論集は、もちろん書き手のレベルは様々であるものの、それらの要素について様々な角度から各執筆者が真摯に向き合った素晴らしい同人誌だった。アイドル批評は果たして恋愛ゲーム批評を超える言葉を持っているのだろうか。
記憶が正しければ、アイドル評論家の中森明夫は「アイドルが社会を映すのではなく、社会がアイドルを映すのだ」という類の発言を著書内で行っていた。これは誇張であるにしても、アイドル批評が社会に対してなにか働きかけることが出来るのだろうか。そういう視点から2010年の現代アイドルに敏感に反応したのが宇野常寛だったと思われる。彼がどこまでアイドルに詳しいのかは知らないが、『PLANETS vo.7』の巻頭グラビアと特集はAKB48の「マジすか学園」であった。「ガチ」であること、そしてマジすか学園AKB48の「二次創作」であること。おそらくそこまで得意ジャンルではないであろう「アイドル」というジャンルの中で社会を反映するテーマを感じ取る宇野常寛のセンスは評価せざるを得ないだろう。

プロシューマーの時代、と言われて久しいが、アイドル業界において自らがコンシューマーからクリエイターに移行することは非常に難しい。さまざまな物理的な限界はあえてここに書くまでもないだろう。*1ゼロ年代のアイドル界隈において、かつて楽曲派という用語が流行した*2。音楽を評価することでアイドル自体の評価を押し上げる。他にも様々要素があったが、そこで誕生した奇跡のアイドルがPerfumeだった。しかし、Perfumeの「大きな物語」は*3とうに「あがり」を迎えてしまった。そして数年後、ネット文化のさらなる発展と共に、UstreamでのDJプレイやニコニコ動画への投稿によってアイドル界隈において真の「プロシューマー」が誕生しつつある。ももいろクローバーヒャダイン氏、tofubeats氏が有名である。他にもももいろクローバーの妹分、私立恵比寿中学の楽曲でもUstreamで有名なDJのremixが使用されているなど、これからもUst発あるいは初音ミクによる楽曲制作者などが人間のアイドル楽曲の制作に携わる動きは加速していくだろう。


音楽でクリエイター側に関わることのできるアイドルファンには羨望を覚える。基本的にはアイドル本人にはなれない以上、普通の人間がプロデュース側に回ることは難しい。アイドルのファンはアイドルに多少なりとも幻想を抱くものであり、裏方に回るということは酸いも甘いも全てを引き受けなければならないからだ。あくまで「こちら側」にとどまりながら出来ることは、どんなに微力とはいえ、やはり書くこと以外無さそうである。

システムと実存。主観と客観。相反する2つの要素の間を常に往復する、そんなアイドル論を書きたくて『アイドル領域 vol.2』に「平野智美から考えるアイドルの条件 〜プロフェッショナルなレーベルと愛〜」という文章を載せてもらったのだが、自分の実力不足で、両者がバラバラになって非常に締まりの無い文章になってしまった。いつかそのような文章が書けるだろうか。アイドルの魅力を界隈内外問わず届けることが出来るだろうか。



『アイドル領域』の次号のテーマは「自己言及(性)」であるらしい。まだ詳細は未定ではあるが、「初音ミクの自己言及性」や「アイドル演劇の自己言及性」といった非常に興味深い論考が予告されている。特に後者は「人間」および身体にに迫るテーマであり、アイドル批評ならではの題材であり、外部に働きかけるパワーを感じさせる。


自分は『アイドル領域』の編集作業に関わっていないため偉そうな事をいう立場ではまったくないのだが、外部に働きかける力・アイドルの未来という視点から考えると、アイドルと「他者」・プロシューマーとしてのアイドル(楽曲制作)・初音ミクアイドルマスター・アイドル演劇・男性アイドルミュージカル・セクシュアリティorジェンダーとアイドル*4・アジア(韓国)のアイドルと英米アイドル・アイドル小説(!)といったテーマのアイドル批評を読んでみたいあるいは書いてみたい、そう思っている。自分は『アイドル領域 vol.3』で「アイドルヲタクの側の自己定義の問題」について書く予定である。実存とシステムという両方の視点を往復するような素敵な文章が書けるように頑張れたらいいなと思っている。



アイドルもアイドル批評も、合わせてアイドル界隈はまだまだ死んでいない。いつだってそう信じている。

*1:そこに目をつけて大成功したのが初音ミクでありアイドルマスターであったはずだ

*2:現在でもハロプロ楽曲大賞のようなファン側の活動は続いている

*3:本人たちは今でも走り続けているが。。

*4:腐男塾・B's Princeといったユニットが思い起こされる