己の面倒くささと向き合い続けること ~学歴の暴力としもんchu復活ライブ~

 

この夏、2年間過ごしたフランスから一時帰国し、2ヶ月弱ほど日本に滞在している。フランスでのアイドルとの関わりは前エントリで言及したAmaitsukiを数ヶ月に一度見に行くのと、あとはYouTubeやサブスクでKpopばかり聞いている程度で、すっかり日本のアイドルシーンについて疎くなってしまった。だからこそこの一時帰国は、久しぶりにアイドルを楽しむぞという意気込みと熱量そして有り余る時間が噛み合ったタイミングであり、帰国2日後には再び羽田空港から旅立っていくほどであった。

松山のひめキュン、大阪のJumping Kiss、高崎のあかぎ団など、2年前に好きだった地方アイドル現場に毎週のように足を運んだ。中学生メンバーが2年の間にすっかり成長した姿や、年長メンバーの変わらない姿も含めて、好きなアイドルたちが2年を経てまだ活動を続けてくれていることのありがたみを感じた日々だった。

それらの地方アイドルを見に行くときには、毎回毎回とあるヲタク仲間の友人と同行していたのだが、自分が日本にいない間に、その友人が好きになったというアイドルがいる。名古屋や都内を拠点に活動する、学歴の暴力というアイドルグループらしい。9月後半に名古屋と東京でのライブに連れて行ってもらうことになった。自分が好きなアイドルたちと違って、思い入れがない分、気楽さに満ちた、他人事で見物気分の来訪だった。

学歴の暴力とガチ恋口上

以前から学歴の暴力のコンセプトやエピソードは友人を通じて色々と聞いており、自分でもメンバーのTwitterのアカウントをたまに見てみたり、インタビュー記事もいくつか読んでいた。学歴の暴力は、その名の通り、高学歴をコンセプトとしており、現メンバーは旧帝大(東大京大名大九大)の4人、たびたびSNSでも炎上することで有名(悪名高い?)なアイドルグループだという。例えばライブでは「学歴ビームと学位記」という、ある曲の途中でメンバーが発する高学歴ビームに普通(非・高学歴)ヲタクは倒れるが高学歴の学位記を持参したヲタクはそれを掲げることでビームを弾くことができるという芸があることは知っていた。

アイドル市場は飽和しコンセプト勝負(あるいはアイドルという言ったもの勝ちの広い概念の中で「アイドルらしさ」からいかに遠ざかれるか勝負)も限界を通り越しているというと、今更何を言っているのかと言われてしまいそうな時代。その飽和しきった市場の中で次々に生まれて消えていく、何が目新しいのか他のグループと何が違うのか外から見たら全くわからないような新しい地下アイドルグループに食いつくヲタクたちの行動様式を適当な対バンライブで眺めると、10年以上前から変わらず、いかに面白い/無意味/あるいは気持ち悪い行動を「開発」して(ときにアイドル側も巻き込んだ)内輪ノリで面白がれるかになれるかを突き詰めていることに飽きている様子はなさそうである。他方で、メンバーの変遷もありながらそんなシーンをくぐり抜けて5年・10年といった歴史を持つ地下アイドルグループも思った以上に増えていて、そういったアイドルのヲタクたちは(これまた「飽きもせず」といえばそれはそうだけれど)反復の美学というか、どんなに馬鹿らしくても俺たちはこのやり方で支えてきた、とでも言わんばかりの長年積み重ねたヲタクの行動様式にどことなく職人的な矜持を感じさせる場合もあったりする。

そんなアイドルシーンの中で、学歴の暴力というなかなか挑戦的な名前を関したアイドルグループのライブ現場のステージはどれほど面白いのか、そしてヲタクはどんな「おもしろ」を開発しているのだろうか。そんな野次馬目線で見に行った率直な感想は、拍子抜けするほどに「普通」だな、というものだった。

たしかに楽曲は旧帝大や学歴をコンセプトにした曲名・歌詞の曲がいくつかあるようで、旧帝大のあるあるを歌うようなわかりやすさを重視した曲もあれば、高学歴ならではの苦しみ・生きづらさを描いた楽曲もあった。ただし、ステージ自体は割と正統派のふるまいであり、その割にはセルフプロデュースアイドルそして社会人アイドルの弱点なのか、歌詞以外の楽曲の全体的なクオリティや歌唱・ダンスの実力は特筆すべきことがなかったこともあり、何よりヲタクの側の「芸風」が拍子抜けだったのが印象深かった。たしかに前述の学歴ビーム&学位記防御はあるものの、それ以外は、アイドル現場でよくあるような典型的なコールや応援様式が中心で、例えば旧帝MIXにしても、アイドル側が用意した学歴という取扱い注意のおもちゃを安全に料理しているような、お膳立てされたものに合わせるだけというような印象であり、歴戦の地下アイドルヲタクたちがしのぎを削るようなおもしろ勝負の土俵には立っていない素朴な現場に思えた。

特に、ガチ恋口上が唱えられた場面には思わず笑ってしまった。口上というのは一番アイドルのコンセプトに沿った改変が可能で、ヲタクの腕の見せ所でもある。ヲタクの芸には意味を持たせないほうが面白いという雰囲気もあり、今日日口上を真面目に唱える事自体が非常にダサい中で、そのダサさを受け入れてもヲタクは口上を入れるのか否かが試される*1。そんな重要局面で、学歴の暴力という尖りコンセプトのアイドルから好きに料理してくれ!!と言わんばかりにヲタクたちに白紙委任された末に選択したのが、ガチ恋口上という定番中の定番であったというズレが、初見のライブで一番面白かったのだ。

しかし、当の学歴の暴力のメンバーは、そのヲタクたちのガチ恋口上をステージ上でそれはそれは嬉しそうに満面の笑顔で受け止めていて、ヲタクが生まれてきた理由に「なになにー?」と定番の返しである合いの手を添えていたのがとても印象的だった。

そのあまりにも凡庸なガチ恋口上によるヲタクとアイドルのやり取りを見て、自分はおかしさがこみ上げるとともに、同時になんともいえない納得感も抱いていた。結局どんなコンセプトでアイドルをやっていようが、メンバーからしてみたらヲタクに求めるのはガチ恋口上で好き好き大好きやっぱ好き世界で一番愛してると言われることであり、そんな凡庸なガチ恋口上を叫んでいるヲタクたちの笑顔が嬉しいのだろうと。自分のような野次馬が外野から「もっと面白いことやらないんかーい!」と突っ込むのは野暮中の野暮であり、小難しいことをしてちょっと外野から面白いと言われるよりも、自分を好きでいてくれるヲタクから好き好き好き大好きと言葉で言われたほうがアイドルは絶対嬉しいに決まっている。そういえば、なにかのインタビュー記事で、学歴はアイドル活動をするための手段でしかないというようなことを言っていた気もする。

ガチ恋口上が叫ばれた曲は、Because you are you。学歴は一旦置いておこう、そのままの君でいい、好きよ because you are you。高学歴という属性を持つ者の悩み苦しみ生きづらさに対する自己肯定ソングである。歌詞をよく見てみると、ヲタクがどこまで考えているのかはわからないけれど、たしかにこれはガチ恋口上以外ない。ガチ恋口上はどうしようもなく凡庸だけれど、ヲタクなんてもちろんみな凡庸、高学歴アイドルもステージは凡庸だし中身も別にちょっと変わってるねと言われる程度のただの人間*2、自分は自分、そのすべてを受け入れて愛を叫ぶガチ恋口上がきっと正解なのだ。

 

 

ところで、自分を学歴の暴力の現場に誘ってくれた友人は、とにかく「学歴」的な概念全般にうるさい人間である。大学だけでなく旧制中学などにも詳しく、他人の出身高校がわかると息をすうように大学実績を調べる。ヲタク同士のバカ話の中で、適当に7つの単語を並べたMIXを考えるという遊びはをすることは誰しもあると思うのだが、彼は約10年前にすでに旧帝MIXについてツイートで言及している、そんな人間である。

推しの趣味は自分ととことん合わない彼だがどこか気が合い付き合いも長く、一時帰国して2年ぶりに会い、全国を遊び回る中で、一緒にいる時間も長く、様々な話をした。彼が好きな学歴の暴力のメンバーの話や、学歴という概念についての会話もたくさんした。

自分自身、学歴について他人と話すような機会は今までの人生殆どなかった。普段あまり意識していないし、地雷を踏むことも多い話題なので、かなり親しい間柄でないと意識的に避ける話題だと思う。しかし、彼が学歴の暴力を好きになったことがきっかけで、学歴そのものを超えて、自分がどういう環境でどう生きてきたか、どういう経験をしたのか、今まで話したことがなかったようなことをたくさん話した。今まで話したことがないことを言語化することで、自分の中で発見もあった。これを言ったら失礼かもしれないだとか、相手を見下しているあるいは卑屈になっていると思われるのが嫌で避けてきたことも、「自分はこういう人なんだ」ということを解像度を上げて伝えることができて、また、相手の同じような話を聞けたことが嬉しかった。アイドルそのものの魅力とは関係なくて申し訳ないのだけれど、そのきっかけを作ってくれた学歴の暴力には感謝したいと思っている。

しもんchu復活ライブ

ところで、自分が過去好きになったアイドルを思い返してみれば、学歴の暴力の現場で感じた思いがけないガチ恋口上の面白さのように、軽い気持ちで外野から見たコンセプトや表層的なズレ・面白さがきっかけで現場に通うようになって、それがなぜかその後何回も通っているうちに、ゲラゲラと笑える対象というより次第にグループ自体に親しみや愛おしさを感じ、それぞれのメンバーの人間的な魅力に気づいてもっと好きになっていくという経験をしたアイドルがいた。自分の場合は、しもんchuという茨城の下妻の地方アイドルだった。2014年の主要メンバーの卒業、そして2015年の解散と、過去に2回このブログにも書いたことがあるが、今見返してみても、自分が所詮「異邦人」であるべき/でしかないことをに打ちのめされながらアイドルに向き合ってきたことが一貫していることに改めて気付かされたし、シンプルにあんなに楽しかった日々のことをブログで読み返すまで忘れていることが多々あり、自分はこんなにしもんchuのことが好きだったのかと軽く驚きも感じるほどだった。

10月になって、そんなしもんchuが4年ぶりに再結成して水戸の茨城アイドルライブに出るらしいという機会に幸運にも巡り合わせた。しもんchuは4年前の下妻のイベント一日限定再結成しているが、その時は自分はどうしても外せない別用があったので、しもんchuを見るのは7年前の解散ライブ以来だった。

7年ぶりに見るしもんchuは、自分の中の、人に触られたくない部分をざらりとなでるような、単に好きなアイドルを見るのと違った感触を自分に与えてくれた。

長すぎる登場SE、しょうもないMCの小芝居のメンバーの掛け合い、何もかもが変わらず懐かしい、と思う一方で、主要メンバーが卒業して自分があまり現場に足を運ばなくなってしまった解散前ラスト1年間の空白期間を感じたり、あるいはnot for meだなと思うような寂しさが同時に襲いかかってくる25分間だった。

ライブで最初に披露した2曲は、自分にとっての空白期間となる、主要メンバー卒業後の後期曲であり、初期・中期とは楽曲スタイルや制作陣が異なっている。客観的には後期のほうが楽曲の完成度は高く、MIXの入れやすさや、ヲタクがみんなで真似できるような振り付けなど、アイドルソングとして見たとしてもクオリティが高いのは明らかに後期曲だ。ただ、自分が好きなのはいわずもがなで初期曲群のほう。それは単に自分が熱を上げて通っていただけだからといえばそれまでだけれども、自分がしもんchuを好きになったきっかけは、茨城の中でも下妻という土地柄でアイドルをやっていることの面白さや、東京地下アイドルシーンとの文化的なズレ、それでいてすべてがはちゃめちゃながら妙に自信満々でステージでとにかく楽しそうにしているメンバーの姿であり、同じように「なんか変、でも面白い」としか言いようがない初期曲群たちも大好きだった。アイドルのライブなんだから、ちゃんとしている方がいいに決まっているし、ヲタクたちに馴染みがあってちゃんと盛り上がる曲をやった方がいいに決まっているのに、素直に後期曲を好きになれない自分がもどかしい。

3曲目は推しの子のB小町「STAR☆T☆RAIN」のカバーだった。しもんchuのS小町!などとまたしょうもないことを嬉しそうに言っている姿に苦笑しつつちょっと嬉しくもなり。最新アイドル曲のカバーを持ってきたのは少し意外なようで、そういえば昔もアイドルマスターのREADY!!のカバーが持ち曲だったな、まりちゃんはやっぱりアイドルアニメ曲のセンターが似合うな、と感慨に浸っていた。

MCを挟んでいよいよラストの1曲を残すのみとなり、最後はもちろん最も有名なデビュー曲の恋の砂沼サンビーチだろうとフロアの皆はわかっている雰囲気だった。7年ぶりに聞くしもんchuデビュー曲、もう次に聞けるのは何年後か、あるいはもうそのときは永遠にこないのかもしれない。そう考えると、嬉しさの反面、固唾をのんで緊張している自分がいるのにも気づいた。そして始まったのは・・・・・・マツケンサンバの陽気なイントロであった。わざとらしく困惑する様子のメンバーの前に登場するのはしもんchu運営、この界隈では有名人であるしもんchuのPが扮するマツケンであった。

 

マツケンサンバのPの後ろで自撮りして笑っているまりちゃん

今になって冷静に振り返ると、しもんchuを見に来た人たちにとって、こんなに笑える展開はなかったと思う。はちゃめちゃが持ち味のしもんchuの復活ライブで、人気者のPがメンバーそっちのけでマツケンサンバを歌いだして客席ダイブでやりたい放題。実際フロアにいた人たちもみんな大喜びだったと思う。コテッコテのドリフのコントのような、「これがしもんchuだよな!」と皆が納得するであろう最高の企画だったはず。

・・・・でも自分だけはその振る舞いはどうしてもnot for meで、スンっとこころが寒くなっていた。たぶん、この状況を笑えていないのは自分だけなんじゃないか、「異邦人」のスタンスを超えて、世界に一人で取り残された気分。明らかに自分の被害妄想だけれど、落ち込む心は止められない。

正直、自分はしもんchuのPにはかなり感謝している。しもんchuプロジェクトを立ち上げ続けてくれたこと、メンバーを気にかけメンバーから信頼されていること、イベントブッキングや地元での人脈、かなり真っ当なアイドルPだと思う。ただ、自分が運営と馴れ合うことが心の底から苦手で、アイドル運営がしゃしゃることが何より嫌いで、主役はいつだってアイドル本人でいてほしいということにこだわりすぎてしまう性格なのが悪いだけなのだ。そしてこのPへの感謝は、そういう自分の面倒臭さを彼はおそらくどこか感じ取っていてくれていて、ずっと一定の距離感を保っていてくれたことも含まれている。気さくな人柄で、ヲタクにも愛されていたPだったし、物販でもよくヲタクと話していたと思う。復活ライブでも物販に並んだ少なくないヲタクはP込みのチェキを撮っていた。そんな愛されキャラなのに、自分は当時東京から下妻まで毎月のように通ったにもかかわらずPに対して一切話しかけようとしないので、おそらく何かを察してか、向こうから話しかけられた記憶は殆どない。せっかくの復活ライブで、皆から愛されるPのはしゃぎっぷりに対してほぼ全員が笑っているのに、なぜ自分はその程度も許容して楽しむことができないのかできないのか、自分の強情さにほとほと呆れてしまった。コンセプトを過剰に読み込み勝手に期待し、そしてnot for meだと一人だけ勝手に落ち込むなんて、愚かすぎるのはわかっているのに。

ただ、そんなおおはしゃぎのPの後ろで、Pに適度に突っ込みながら、まりちゃんは舞台袖からスマホを取り出し、主催のアイドルと自撮りをして楽しそうに笑っていた。そのマイペースさは変わらずあの頃のまりちゃんのままで、どうしようもなく愛おしかった。そういえば昔も水戸のライブハウスでしもんchu見ているときに完全に疎外感に包まれてたこともあったな、と泣き笑いのような気持ちでそこに佇み、Pが客席ダイブ失敗してわちゃわちゃしている横で、ただステージのまりちゃんの姿を眺めていた。

なんやかんやで迎えた本当のラスト曲の恋の砂沼サンビーチでも、アンビバレントな心のざわめきは続いていた。曲の前に、サビのコールの練習タイムがあり、この手のやりとりはアイドルのライブには非常によくあることだけれど、自分がしもんchuを見ていた頃にはなかったな、などとぼんやり思っていると、懐かしい(本物の)イントロが始まった。

恋の砂沼サンビーチのコールは、うまく説明できないが、地下アイドルのコールの「常識」からすると、ちょっと変わっている。自分の記憶では、2012年に初めて見たときに地元の若いヲタクがやっていたコールで、東京地下アイドルシーンでは見られないであろうその妙なズレが面白く、なんなら当時は少しバカにするような気持ちもありながら道中の車で友人と何度も真似して楽しんでいたのを覚えている。その後しもんchuのことを本気で愛おしい、好きだと思うようになって毎月のように通うようになってからは、そのちょっと変なコールが大好きな気持ちの反面、自分は声を出したくないのだけれど(いつだって傍観者気取りが好きなので)、人が少ない時の定期公演や、ショッピングモールのイベントやお祭りのイベントなど、他のヲタクがほとんどいないような場合には、半ば義務感で声を出していたときもあった。2014年に発売されたCDで再録されたre-arrangeバージョンでは、そのコールが推しの子のIDOLのREAL AKIBABOYZのようにCD音源に収録されるアップデートがあり笑った記憶もある。そして2023年の今、7年ぶり見た恋の砂沼サンビーチは、曲前の練習の成果もあり、また、7年の時を経てもしもんchuをよく知る茨城のアイドルヲタクたちによって、自分が何も声を出さなくても、自分が大好きだった「あのちょっと変なコール」がフロアに鳴り響いていた。自分が大好きだった恋の砂沼サンビーチ、そしてあのちょっと変なコール。自分が声を出さなくていい、傍観者でいい安堵、満足、郷愁、そして一抹の寂しさを兼ね備えたなんとも言えない気持ちでそれを聞いていたら、やっぱりまた心がざわざわとしてきて目頭が熱くなっていった。自分はガチ恋口上はおろか、大好きだったアイドルの大好きなコールさえも叫ぶことすらできないヲタクだけれども、こうして恋の砂沼サンビーチを聞くためにフロアにぽつんとたっていることができて本当に良かった。

youtu.be

 

このブログを書くときに、2015年に書いた自分のしもんchu解散エントリを読んだら、「恋さぬでヲタクとメンバーがぐるぐる回るのを少し離れたところから見ていて「ヲタクとの一体感」が生まれているのを見て複雑な気持ちになった」とほとんど今回と同じようなことが書いてあって、自分でも笑ってしまった。7年経っても、自分がブログで書いたことすら忘れていても、まだしもんchuが大好きで、勝手に作り上げた理想像をアイドルに押し付けた上でちょっとでもnot for meな部分があると勝手に落ち込むような面倒くささを未だに持ち合わせている自分に呆れ、でも自分はそういう人間だしほんとうにしょうがないなと納得してしまった。それがむず痒くて、でもアイドルを本当に好きになるというのはこういうことだったかもしれない、と思い出している。

学歴の暴力についてはガチ恋口上サイコーなどと無責任にいえてしまうけれど、完全に他人事の自分とは違って、学歴に過剰な思い入れがありなおかつ学歴の暴力を本気で好きな友人の話を聞いていると、彼にとってのnot for me (him)な部分との折り合いが大変そうだ。そんな彼の愚痴を他人事としてゲラゲラ笑いながら聞いてから数週間して、今度は自分が7年ぶりに復活したアイドルに再会して彼と同じような混乱に陥っていることに対して心底呆れて苦笑してしまったので、その情けなさをまた忘れてしまわないように、こうやって書き残している。ただ、自分が好きだったアイドルとは違って、まだそうやって心を乱されるほどに本気になれるアイドルが、まだ現役で活動している友人が少し羨ましい。

 

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あと少ししたらまたフランスに帰って、1年ほど過ごすことになる。2ヶ月弱でアイドルを楽しみまくった反動が怖い。フランスでは、アイドル現場で散々味わってきた「異邦人」を地で行く生活が待っている。神奈川生まれインターネット育ち、味気ない新興住宅街で生まれて東京の中高大学に通った学生時代、インターネット以外に居場所がないような、常にどこか他人事感とその寂しさを自ら引き受けていく矜持は自分の人生で一生ついて回る感覚だと思う。今回の一時帰国の振り返りは、また海外で過ごす残り1年やその先も続く人生に向けて、それはそれで、自分は自分でいいではないか(because you are you!)という自信につながるといいなと思う。

 

 

*1:ちなみに口上といえば、水戸でしもんchuの次に出てきたがre-mitoではなく元・水戸ご当地アイドル(仮)の初期メンバー2人だったのだけれど、デビュー曲のNEBAPPE☆MITOPPOで実に水戸らしさに溢れた口上がヲタクから唱えられ、その絶妙なダサさと懐かしさとかっこよさ、そして色々なトラブルもあった歴史も経てデビューから11年後の今、初期メンに捧げるヲタクの口上がとにかく味わい深くて良かった

*2:うまくまとめられなかったので書かなかったけど、2回目に見に行った対バンライブのときにクイズや大喜利コーナーをやっていて、なつぴなつが大喜利コーナーの「〇〇コンセプトのアイドルが炎上、その理由は?」という最初のお題で「竹島」と"正解"を真顔で解答し(それは大喜利ではなくクイズの答えでしょうよ)となったが、ヲタクの理解がついていかずダダ滑りのようになって場が凍っていたのがとても面白かった