2017/6/30 嗣永桃子ラストライブ ありがとう おとももち 〜「アイドル」の人生〜


アイドルを好きになったのは、嗣永桃子を好きになったからだ。昨日のラストライブで、梅雨真っ只中で雨予報だった6月最後の金曜日、ようやく太陽が沈みかけて雲が引いていく茜空がよく見えた午後7時頃。Buono!のソロ曲『I NEED YOU』の出だしの歌詞は、今日のためにあるとしか思えなかった。原曲は一転激しくなるサビも、今日のピアノ一本のアコースティックverではしっとりと身体中に響いてくる。「I NEED YOU 突然好きになった」という彼女の声に、自分が彼女を好きになった約10年前のことを思い出し、空を見上げた。


はてなダイアリーでアイドルについて何か文章を書きたいと思ったのも、文学フリマコミケでアイドル評論同人誌に参加しようと思ったのも、嗣永桃子を好きになったからだ。
彼女を好きになったのは2007年頃。その頃彼女はすでにファンの間で「嗣永プロ」と呼ばれていて、アイドルの手本であるような、アイドル中のアイドルだと評価されていた。自分がアイドルであることに自覚的で、自ら主体的に「アイドル的」であることを突き進んでいくその姿にどんどん惹きつけられていった。凛として気高く、誰に対しても平等だった。彼女があまりに「アイドル的」であることに興味を持つようになってから、次第に「アイドル的」とは何なのか、「アイドル」とは何なのか、といったことについて考えるようになった。
彼女を好きになってから10年という短いような長いような年月の中で、アイドルをめぐる環境は大きく変わり、自分自身もさまざまなアイドルと出会い別れ、アイドルに対する考え方や、アイドルを好きになるということの意味はどんどん変わっていった。たぶんアイドルのライブを見ることはいまだにそれなりに好きなのだろうけれど、良くも悪くもアイドルという概念自体へのこだわりは薄れていって、それよりも、人を好きになること、人と関わるというのはどういうことなのか、そういうことを考えるようになっていった。それと同時に、嗣永桃子という存在への興味も、最初の頃に比べるとかなり落ち着いていってしまった。


嗣永桃子の最後のライブのセットリストは、Berryz工房Buono!カントリーガールズなど彼女が関わってきたさまざまなユニットの曲が散りばめられていて、自分が熱狂的だった時代・自分が直接知らないけれども必死に情報を後追いした時代・徐々に離れていった時代・一定の距離を置いて楽しんでいた時代、そんな自分の彼女に対する関わり方の変遷や、もっと大きく「アイドル」という概念と共に過ごした10年間を振り返るような経験だった。フラットで広い客席からは隠れてほぼ見えないステージの彼女への距離を遠く感じたり、巨大なスクリーンを見つめて(相変わらずなんて綺麗な横顔なんだ・・・)と感嘆したり、涙がこぼれそうになって空を見上げたり、音を聞くと昔覚えた振り付けを身体が勝手に踊ったり、叫んだり、棒立ちしたり、泣きながら笑っていたり、心と身体が定まらない、ふわふわとしたままのあっという間の時間だった。


アンコール後のMCで、Berryz工房Buono!を振り返る巨大スクリーンに映された彼女の顔はやはり凛としていて、Berryz工房のラストライブのときと同じく涙を見せる気配はなく、最後まで「完璧」であるとファンに評価されそうな振る舞いだった。とにかく自分が好きで、自分がやりたいことを貫いた15年だったと語る彼女は、自分が彼女と出会った頃と変わらず安心感さえ感じさせるようであった。
しかし、そんな姿はBuono!を振り返るときまでだった。最後にカントリーガールズについて言及すると、彼女の目は明らかに潤み出したのがとても印象的だった。
思えば、Berryz工房はグループアイドルでありながらそれぞれのメンバーがまるでソロアイドルであるような集団だったし、嗣永桃子嗣永桃子として完結しているような存在だったのが、カントリーガールズになってからは、プレイングマネージャーという位置づけからもわかるように、同じグループのメンバーというよりも先生とおチビ達というような関係性の中でアイドルを続けることになり、彼女のアイドルとしての在り方も変わっていったように感じられた。それまでは、孤高で自分が大好きで、ファンも含め他人には平等に愛を与える代わりにその裏返しとして平等に距離を取っているような印象の魅力に裏付けられていたのが、明らかにカントリーガールズの後輩たちに厳しく優しく深く関わり合い愛を与え、それ以上に後輩たちから慕われているような、そんな新しい魅力を感じさせる集大成としての姿だった。


アンコール後のMCが終わり、『アイドル卒業注意事項』というカントリーガールズから嗣永桃子への送辞曲が始まった。
カントリーガールズのメンバーひとりひとりから、アイドルを卒業して一般人として生きていく嗣永桃子へ向けて、順番に「注意事項」として厳しく微笑ましい送辞が読まれていく。そこでは、例えば「一般人として生きるコツ」や「SNSへの注意」、さらには「結婚についてのアドバイス(?)」まで語られる。
アイドルが引退して一般人として生きていくのは得てして大変困難なことだと思う。芸能界の常識は一般社会の常識とかけ離れているだろうし、小学生から15年もアイドルとして生きてきた身ならなおさらである。そこまで有名になれなかったアイドルであっても、ファンから愛された、いや、ちやほやされた時代が忘れられず、引退後もSNSで中途半端にちやほやされたがる元アイドルを一体何人見かけたことか。何より、「恋愛禁止」という根拠不明かつ強烈な規範によって晒され続けた後に、一転して引退後には「結婚して女性としての幸せをつかむ」ことを無責任に期待される。
『アイドル卒業注意事項』は、そのような「アイドル引退あるある」を極めて正確に茶化しつつ、嗣永桃子が育ててきた後輩たちに「送辞」という形で彼女を微笑ましくいじり倒させることで花を持たせ、何より嗣永桃子という存在であれば、そんな「アイドル引退あるある」を笑って吹き飛ばせるという確信を我々ファンの間で共有できる点が何より素晴らしい曲だ。
確かに、嗣永桃子というアイドルは、例えばアイドルとして何より避けるべき"とされている"恋愛スキャンダルに巻き込まれること無く15年間のアイドル人生を過ごし、引退の日を迎えた。彼女がどういう気持ちでどのように振る舞った結果としてなのかはもちろん分からないが、個人的には、彼女が例えば「アイドルは恋愛をしてはならぬ」という規範を「アイドル的である」と自ら解釈して実践したのではなく、もう少し抽象的な「アイドルは誰に対しても平等に愛を与えなければならぬ」という規範を実践してきたように見える点が、自分が彼女を好きになったコアの「アイドルらしさ」であったように思える。しかし、カントリーガールズでの彼女は、先程述べたように、「誰に対しても平等」という図式を崩し、カントリーガールズの後輩たちに対して明らかに一歩踏み込んだ愛を与えていたようにも感じられた。その寵愛を受けたカントリーガールズの後輩たちが、『アイドル卒業注意事項』として送る厳しい言葉は、彼女がそういったつまらない「アイドルらしい規範」を軽く飛び越えて、その先にある人生を幸せに生きていくことを確信しているからこそ、笑って泣ける卒業ソングになっているのではないだろうか。

『アイドル卒業注意事項』では、最後に、後輩メンバーの中でも一番年上の山木梨沙から、「順番通りなら嗣永さんが最初にこの世を去ることになります。」という衝撃的な歌詞で、葬式に言及する送辞で締められる。そう、アイドルは引退して我々の観測範囲から消えてしまっても死ぬわけではなく、その後の人生があることを忘れてはならないし、だがしかし、誰しも最後には死が訪れるのだ。一瞬ぎょっとするけれども笑える歌詞の中で「死」について言及されることで、例えば引退したアイドルのファンであることを「遺族」などと形容する言葉を軽々しく使うことの愚かしさに気付かされるだろうし、彼女が引退した後も長い人生を幸せに過ごしていくことを切に願うし、山木梨沙が「先に天国で待っていてください!」とまるでさっきまで泣いていたのが嘘のように笑顔で言ってのけるのに対して、しれっとシャ乱Qまことが「僕はもういないと思います」つぶやくのを聞いて、ああ嗣永桃子が人生をまっとうする日にはきっと我々も生きていないだろうな、とちょっと寂しくなるのである。

嗣永桃子は大学で教員免許を取得しており、芸能界引退後は幼児教育に関わっていくと宣言している。彼女がアイドルを引退した後、幼児教育の場で先生として活躍していくことは、カントリーガールズでまさに「先生」として振る舞ってた姿を見ていたファンであれば誰しも間違いなくその成功を信じられるだろう。最後までアイドル中のアイドルでありながら、アイドルを引退したその先の人生がアイドル時代での立ち振舞いと地続きであるのは、彼女の幸せを無責任に願ってしまう身としては、何より心強い。


「アイドルのプロ」と評された嗣永桃子の「アイドルらしさ」が好きだった。実際、彼女は最後までアイドル中のアイドルであった。そして、アイドルでなくなった後は一転してその「アイドルらしさ」が足かせになりかねない中、カントリーガールズを経て、「平等に愛を与える(=平等に距離を取る)存在としてのアイドル」から若干の変節を遂げたかのようにして、アイドルとしての新たな魅力を見せてくれるとともに、アイドルでなくなった後の人生に対するファンの勝手な不安も取り除いてくれるような振る舞いでステージから去っていく。
「アイドルらしさ」なるものがこれほどまでに多様化し話者の主観や思い込みでしかない空虚な言葉になる時代の中で、最後の最後に「私はビジュアルもいいし、愛嬌もあるし、運もあるから大丈夫。皆さんのほうが幸せになってください。」と語る彼女をもはや単純に「アイドルらしい」という言葉で表現することはできない。ただただ嗣永桃子という人間を尊敬しているし、彼女を好きになってよかったし、幸せな10年間だった。今後は、彼女の幸せを身勝手に祈ることなどせずともとにかく「大丈夫」なのだから、自分の人生を生きなければならない。

嗣永桃子が大好きで、桃のとうげんきょうという名前のブログを始めた。しかし、アイドルの世界は桃源郷ではないのだ。アイドルの人生はアイドルを引退した後も続くし、自分の人生も続いていく。この10年間、アイドルを好きになってよかったと振り返れるように生きていきたい、そう思わせてくれる最高のラストライブだった。