アイドルという文化と自己表現について ~フランスのアイドル、Amaitsuki~

最後にインターネットで文章を書いたのはもう5年前らしい。

いつの間にかにはてなダイアリーはてなブログになっている。それでもまだ新しい記事は書けるようだ。

5年がたち、はてなも変わった。社会も変わった。自分も変わった。文章も書かなくなった。感性が徐々に死んでいくのを感じる。環境も変わった。超ドメスティック人間だった自分が、なぜか今はフランスにいる。パリに来て1年弱がたった。アイドル現場にいけなくなるから海外には住みたくないと本気で思っていたのに。

 

色々変わることはあっても、なんだかんだで相変わらずアイドルが好きなのは変わらないようだ。フランスに来てからすぐの間は、フランスのアイドル文化を調べたり、アイドルっぽいフランス女性シンガーを調べたり、隣接のヲタク文化(アニメ文化)を調べたりしていた。ちょっとコミカルなアイドル風の歌を歌っている女性シンガーのライブに行ってみたら、客席が小学生以下のお子様49.5%、その保護者49.5%、そして完全に客層を勘違いした自分1%という歌のお姉さん現場に迷い込んだこともあった。

いまのところの個人的な観測範囲の結論としては、フランスではいわゆる日本的なアイドル文化はほとんど広まっていない。フランスと言えばジャパンエキスポのように日本のヲタク文化が割と市民権を得ている国だと言うイメージがあったので、少し肩透かしではあった。もちろん日本の漫画は本屋でも大人気で、アニメ系イベントもたくさんやっているし、アニメ漫画文化が非常に受けているのは間違いないと思う。アイドルという枠だと、K-POPは市民権があるようだ。Fnacという日本でいうタワレコヨドバシカメラを組み合わせたような店の音楽コーナーではK-POPゾーンがとても目立つところに展示してあったし、BTSやBLACKPINKのメンバーはファッションウィークやカンヌ映画祭でゲストとして呼ばれているくらい人気がある。

 

そんな日本的アイドル不毛の地で「フランス アイドル」とでも検索するとすぐに出てくるのが唯一Amaitsukiである。日本にいるときは全く知らなかったのだけれど、どうやら2008年から活動しているらしく、2018年のアンジュルムのパリ公演のOAを務めたらしいので、熱心なハロヲタなら割りと知っているのかもしれない。

Youtubeや公式HPを見てみると、ハロプロをメインに、様々なアイドルをカバーしている。8月に渡仏してから1ヶ月ほど経った2021年9月に、グルノーブルというアルプス近くの南部の地方都市で小規模ないわゆるジャパンフェスが開催され、そこでAmaitsukiのコンサートがあるというので旅行を兼ねて見に行くことにした。

 

正直に言うと、見に行く前は彼女たちのことを完全になめていた。「アイドルカバーグループ」を自称しているようなので、いわゆる「踊ってみた系」のような、カバー曲に合わせてダンスをする人たちだろうと思っていた。アイドル不毛の地で、言葉は悪いが、他に選択肢がないので見に行った、というのが正直なモチベーションだった。そして、とても幸運なことに、そして反省すべきことに、彼女たちの活動は、いろいろな意味で自分の想像を遥かに超える尊敬すべきものだったし、グルノーブルでのライブをきっかけにyoutubeをもっと真面目に見てみたり、ライブ終わりにすこしメンバーと話す中で様々な気づきがあった。

自分がフランスに来てから約1年の間にたった4回しかライブは開催されなかったけれど、昨年8月のグルノーブル、今年4月のリヨン、そして7月のトゥールと4回のうち3回のライブに足を運ぶことができて、彼女たちの活動を見ていて思ったことを久々に文章として残しておきたいと思った。

 

初めてAmaitsukiを見たときに感じた素朴な感想は、「日本語でちゃんと歌ってる」「思った以上にちゃんとアイドルしてる」の2つだった。

ライブで曲が流れてきてすぐに気がつくのは、とにかく日本語がうまいということ。自分が1年弱フランスにいてほぼフランス語が話せないという情けない状況なのでよくわかるのだけれど、日本語とフランス語は発音がぜんぜん違うのに、彼女たちの歌は普通に日本語として違和感なく聞き取れる。歌の良し悪しの前にある高いハードルを前提条件としてしっかり超えているのがまず偉いなと思った。また、最初にいわゆる踊ってみたのようなものだろうと思っていたのが恥ずかしいのだけれど、被せ音源も使っていない。自分の声だけで勝負している。

衣装も全員お揃いの既製品やTシャツにパニエ入りひらひらスカートでなく、おそらく特定の色や柄といったコンセプトのもとでそれぞれが自分に合う衣装を用意しているようで、統一感と個性が両立されている。

それ以上に、なんといってもわかりやすい彼女たちの魅力は、選曲にあると思っている。

以下の画像は過去3回の彼女たちのライブのセットリストだ。公演日の数日前に事前予告されている。

2021/9/19 Japan Alpes Festival in Grenoble

 

 

2022/4/24 Festival Cosplay in Lyon

2022/7/1 Japan Tours Festival in Tours

やはりもともとはハロプロが好きなメンバーがあつまっているのだろう、ハロプロ楽曲のカバーが一番多い。ハロプロを中心に、それ以外にもAKBやももクロといった有名アイドルの楽曲や、わーすた、イコラブ、Task have fun、フィロのス、ZOCといった日本のアイドルヲタクには馴染みのある多彩なアイドルから選曲されていて、バラエティに富んでいる。

それに加えて、特に今年4月のリヨンのライブでは、新しい学校のリーダーズちゃんみななど、おそらく日本では「アイドル」というジャンルに属しているとはみなされないような曲も入っていて非常に興味深い。

さらに、「日本のアイドルヲタクには馴染みのある多彩なアイドルから選曲されている」と言ったものの、よくよく曲を見てみると、PASSPO☆の「Mr.Wednesday」やハロプロのユニット曲の「GET UP! ラッパー」など、なぜわざわざその曲を選んだ!?と突っ込みたくなるような通好み?の曲が選ばれているのも見逃せない。

また、ときめき宣伝部の「すきっ!」やももクロの「ニッポン笑顔百景」は、Tiktokで流行ったというのもあって選んでいるのだろうなと想像がつくのもグローバルなアイドルらしさが出ていると思う。

一度メンバーにどうやって曲を決めているのか、なぜマニアックな曲を選んでいるのかというのを訪ねてみたことがあったのだが、その答えは「みんなで相談して決めている」「単に好きだからその曲にした」というものだった。なんとなくはぐらかされているのかもしれないけれど、自分としては「単に好きだから」という答えに素直に納得できた。

これらの選曲や、後で述べる活動スタイルそのものにも通ずる点として、Amaitsukiの素晴らしいところは、メンバーが「好きだから」やっている、というところだと思う。好きだからやっている、単純なようで、それを突き通すのは、本当に難しいことではないか。

 

ライブの感想から少し離れて、Amaitsukiの活動精神がよく現れているものとして、以下の動画に言及したいと思う。

www.youtube.com

これは2020年のコロナ禍の夏に開催された、Amaitsuki10期メンバーのオーディション合宿のドキュメンタリーだ。

まず10期メンバーという時点でその歴史の長さに驚くが、この動画からは、Amaitsukiの活動精神について様々なことが読み取れるシーンが散りばめられている。

そもそもとして、この動画自体のクオリティが結構高く、2時間という非常に長い動画にもかかわらず、フル編集、ナレーション付き、そして英語・日本語のオリジナル字幕まで対応している。

内容としては、基本的には、アイドルファンにとってはおなじみのアイドルサバイバルオーディションの形式が踏襲されている。応募した候補者が集められ、合宿形式で課題曲を練習し、その中で選抜が行われる。

正直な感想としては、一番最初にこの動画を見はじめたときは、アイドルオーディション番組のパロディ的に見えてしまった。基本的な形式が踏襲され、編集やナレーションなど動画の作りもしっかりしているけれど、もちろんKPOPやハロプロのオーディションと比べれば参加者はほぼ素人で、こう言うと申し訳ないがルックスも技術も比べ物にはならない。比較しやすい分、フランスという、日韓と比較してアイドル文化が根付いていない場所での「パロディ」として面白がる、そういう意地悪な気持ちが最初に生まれたのは確かだった。

しかし、見続けていると、おやっと思うところや、単なるパロディ的な面白がり方にはとどまらない、Amaitsukiならではの考え方や興味深いところがどんどん見えてきた。

まず、このオーディションでは、講師役(ボーカル、ダンス、精神的ケア(大事!))がAmaitsukiの既存メンバーによって担われている。そしてメンバーがみな本気なのだ。それはあたかもオーディン番組でおなじみの厳しい講師陣そのままなのだけれど、メンバー自身というところが似ているようで違う。DIYなのだ。後で気づいたけれど、動画のナレーションもメンバー自身。先輩メンバーが候補者に真剣に向き合って、時には厳しい言葉を投げかけ、優しくケアし、自分たちのカラーに合う人材なのか、成長が期待できるのかをメンバー同士で真剣に話し合っている。日韓の既存のオーディン番組では講師も番組作りも皆プロフェッショナルによって手掛けられているので、金銭が発生しているし、真剣なのは当たり前だ。しかし、Amaitsukiはアマチュアであり、それなのにメンバーたちがあまりに真剣なので、つい当たり前のようにプロと比べたくなってしまう。真剣すぎるDIY、これがまずAmaituskiの特徴だと思う。

Amaitsukiはおそらくアソシアシオン(association)という日本でいうとNPO団体のような形で活動しているのだと思う。フランスではassociationは日本に比べて非常に活動がさかんで、少し古いが20年前の統計によると90万の団体があり参加率は45%にものぼるという。associationは非営利目的が原則らしく、それが理由なのかは詳しくはわからないけれど、Amaitsukiはライブで入場料もとっていないしチェキやグッズも売っていない。話は少しそれたが、何が言いたいかというと、Amaitsukiは商業ベースではなく自発的な活動の集まりというところがフランスのコンテクストを感じさせ、日本の一般的な商業ベースのアイドルと異なる点だ。

また、オーディションの中では、Amaitsukiがグループ活動を優先できるかどうかという点を重視してパーソナリティや活動頻度に着目して選考を行っている姿が描かれていた。そしてその選考の厳しさからは、仲良しグループではなく、アマチュアながら、いや、アマチュアだからこそ、自分たちでグループを作り上げ、規律と精神を重視し、真剣に活動に取り組んでいることが伝わってきた。

ここでもまた日韓アイドルとAmaitsukiの表層的な相似とその裏にあるコンテクストの違いが見て取れる。日韓のアイドルがオーディションや活動中のドキュメンタリーで厳しさを志向するのは、まずはトップアイドルの場合には、もちろん商業的な成功(動員・音楽番組ランキングなどなど)をめざすというわかりやすい動機と目標がある。また、他方で、地下アイドルのレベルであっても、トップアイドルとしての商業的成功がおよそ望めないとしても、なにかの目標を掲げ、それに向かってひたむきに努力すること、そして時にはその厳しさの中で傷ついていく姿がよく見られる。そして同時に、努力という手段こそがアイドルの魅力としてみなされていることや、それがさまざまな搾取につながっていることが指摘されている。

こういった日韓のコンテクストと比較してみると、Amaitsukiはますます興味深い。おそらくassociationという非営利活動をベースにしており、アイドル文化に乏しい中で、本当にJPOPやアイドル文化が好きな人達が自発的に集まって規律を持ってアマチュア活動を行っている。また、2008年結成でメンバーは10期まで存在するという歴史のなかで、多くのメンバーは当然成人しており、おそらく社会人としてなんらかの職業に従事しているメンバーが多数だろう。10期の新人メンバーであっても若くとも20代前半であり、20代後半や30歳以上のメンバーも新たに加入している。アマチュアといっても皆大人なのだ。10代のメンバーが大半を占める日本の地下アイドルのように、部活スピリットで青春をささげるスタイルとも全く異なっている。謎の理由で解散と別グループでの再始動を繰り返すことが許される余地もない。日本には、若くて可愛くてダンスも歌も上手なアイドルは腐るほどいる。他方で、「大人」というコンセプトを全面に打ち出す(そして悲しいかなたいていは謎の「アダルト・セクシーさ」を一様に掲げる)アイドルも数は少ないながらも存在している。しかし、成熟と未成熟の間で危うさの魅力を放ち続けつつその歪みに答えを見出せていない日韓のアイドル文化をよそに、Amaitsukiは、成熟していることが社会的に前提とされた上で、「好きだから」という理由で、日本のアイドル曲を歌って踊ってみせる。手放しでAmaitsukiのほうが日韓より成熟していて優れているのだというように比較して優劣をつけたいのではない。自分は草野球チームで長年野球を楽しんでいるので少しわかるのだが、アマチュアグループでありながら活動を続けることはとてつもなくハードなのだと想像する。単純に比較すれば、ダンスも歌も、毎週のようにライブとレッスンがある大抵の日本の地下アイドルのほうが技術的には上だと思う。年に4回しかライブがなくても、それでも、Amaitsukiからは「JPOP・アイドルが好き」という気持ちがこれでもかと伝わってくる。そんなAmaitsukiもまた同じくアイドルなのだと、アイドルという文化、そして自己表現のあり方を豊かにさせてくれるような貴重な存在だと自分は思う。

 

年齢や成熟というキーワードに言及したところで、Amaitsukiのもう一つの重要な特徴を挙げると、やはり「多様性」に言及せざるを得ない。

フランスは多民族国家であり、様々なエスニシティの人々がフランスで暮らしている。そして、Amaitsukiもそんなフランスで活動するからには、もはや当然の前提としてメンバーのバックグラウンドは異なる。日本や世界中でポリコレ疲れの波が押し寄せる中で、良くも悪くもなぜかその波に飲まれていないように見える、というより「正しさ」ってなんですか?というレベルの日本アイドル文化。フランスという、日本とは比べようのないくらい前提としてダイバーシティが社会的に尊重されている中で、そんな危うい日本アイドル文化を参照していること自体が危うさを孕む。そんなあまりに組み合わせが悪そうに見えるフランスと日本的アイドル文化の緊張感が走るシーンが、前述のドキュメンタリー動画の中に現れる。

レッスンの休憩中に、候補者の一人が、「私はフェミニストだから、若いメンバーを抱えるアイドルがセクシーすぎる歌詞や振り付けで歌うことは問題だと思う、恋愛禁止も全く理解できない」といった疑問を投じる。それについて、カメラを回している現役メンバーが、「あなたはそういう曲(「まっさらブルージーンズ」)を踊ることは反対か、ボイコットするのか」となかなか鋭い質問を返す。それに対して候補者は、「できる、私は35歳だから。経験がある」と回答する。現役メンバーは「(そのアイドルは)若すぎるから反対ってことね」と納得した様子でその場面はここで終わるが、なかなか考えさせられる問題設定である。たしかに大人が10代半ばの少女にはセクシーすぎる歌をカバーして歌うことができるのはそれはそうなのだけれど、でもその歌をカバーして歌いたいと思う、あるいはそういう曲を歌っている10代のメンバーが存在するアイドルグループが好きなファンはどこまでその罪に加担しているのか、セクシーさをすべて排除したときに残るアイドルの魅力はなんなのか、フェミニズム的に許容されるセクシーさの限界ラインはどこなのか、そんな疑問は尽きないなとつい思ってしまう。

もちろん、その答えをAmaituskiに出せということを言いたいのではなく、そういうことを考えるきっかけになるシーンをドキュメンタリーの編集の中でちゃんと入れていることや、その発言をしていた候補者が最終的にメンバー入りしたところがなかなかamaitsukiの面白いところだなと感じた。

そんなやりとりをドキュメンタリー動画に残したAmaitsukiは、その動画公開から1ヶ月後に、ルッキズムを強烈にカウンターするちゃんみなの「美人」のカバー動画を公開し、翌年には同じくちゃんみなの「ハレンチ」をステージで堂々と披露した。

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ハロプロもAKBもPASSPOもそしてちゃんみなも、自分たちがやりたい、好きだと思った曲を歌って踊るAmaitsuki。ちゃんみなはアイドルの枠に含めていいのか。Amaitsukiはアイドルの枠を超えたのか。いや、よくよく考えてみると、そもそもAmaitsukiはアイドルそのものを自称していない。公式HPには、「Amaitsukiは2008年に結成されたアイドルコピーグループである。フランスにJ-POPカルチャーを広める事を目的としている。主に日本で流行しているアイドルの曲を歌い踊る。」とある。ティーンの恋愛感をド直球に歌うときめき宣伝部の「すきっ」、果たしてコレはラップなのか?と首を傾げざるを得ないハロプロのトンチキ曲の系譜「GET UP!ラッパー」、そして新時代代表のトリリンガルラッパーちゃんみなルッキズムカウンター「美人」・・・挙げていたらキリがないが、王道アイドルソングのみならず多様な楽曲文化を包容し「アイドル」あるいは「JPOP」としてフラットに並べて、メンバー選定や演出はしっかりアレンジしつつ自己表現していくあり方は、欧州という日本から離れたバックグラウンドからJPOP・アイドルを俯瞰しつつ深くダイブする、そんな彼女たちならではの良さにあふれている。

 

 

さて、そんな彼女たちの自己表現をライブで見ていて、自分は実はなかなかの居心地の悪さを常に抱えている。しかし、居心地が悪いというのは決して自分にとって悪い意味ではない。

日本にいた頃は、アイドルヲタクとしての年数を重ねるに連れて、自分は地方アイドルの現場を好むようになっていった。それは、地方アイドル現場では「異邦人」になれるからだ。地方アイドル現場では、基本的にはその地方に住んでいるファンが中心となってコミュニティがあり、さまざまな独特な文化が根付いていることが多い。その現場に「異邦人」として訪れ、ファンとしての「責任」を負わず、アイドルとファンの共犯関係を横目で眺めながら楽しませてもらう、おこぼれをもらうような立ち位置が心地よかったからだ。

そういう意味では、フランスでは自分は完全に異邦人なのだが、悲しいことに、Amaitsukiの現場には残念ながらフランス人のヲタクがほとんどいないように見受けられる。そう、ファン文化との結びつき、共犯関係が成立していないのだ。そうなると、自分はどの立場にたっていればいいのかわからなくなってしまう。

ヲタクが現場にいない理由は色々考えられるが、たとえば定期公演をおこなっておらず、多くがパリ以外の地方現場、そしてジャパンフェス、つまりアニメ・マンガ文化がメインの客層でライブを行っているからというのが大きな原因であるように思う。もちろん、アニメ・マンガ文化のファンが多く集まるイベントであっても客席を多く埋めていたり、曲のあとには拍手喝采だったりするのだが、日本でのアイドル文化のように、アイドルヲタクがコール&レスポンスが行われるといったことはほとんど見られない。

しかし難しいのは、果たしてAmaitsukiがそのような日本的なコール&レスポンス、ヲタクとの共犯関係を求めているのかという疑問だ。いままで書いてきたように、Amaitsukiはあまりに強いのだ。大人で、成熟していて、自分たちが好きなことを好きなようにやる、意思の強さが半端ではない。もし自分が生まれ変わってアイドルになるとしたら、おそらく自分が本当に好きな曲よりも、ヲタクに人気がある曲、ヲタクが喜んでくれそうな曲を優先して歌ってしまうと思う。実際に日本の地下アイドルではそういう発想で活動を行っているグループは星の数ほどいるし、そういった志向自体は否定されるものではない。Amaitsukiは自律性が高い反面、ある意味での自己完結しているというか、Amaitsukiの現場はヲタクがいなくても成り立ってしまう。もちろん彼女たち自身はファンが増えたほうが嬉しいと思っているに違いないし、積極的にyoutubeでの動画投稿や、ライブごとのInstagram生配信を行っており、グローバルなファンがいることは間違いない。日本的ないわゆる「現場主義」と比較すると、そういう要素が薄いという話だ。

そうなると、アイドルとヲタクの共犯関係のおこぼれをもらうために異邦人としてやってきたはずの自分は、数少ないAmaitsukiの現場では、ただただ彼女たちの強さに正面からあてられてしまうだけであり、これは自分にとって非常に居心地が悪い。

横目で眺めるような立場でいられず、正面からAmaitsukiの魅力に取り込まれてしまうと、このままでは受け手として何かしらの責任(?)をとらなくてはいけないのではないか。もちろんだれからもそんなことは求められていないのだが、ヲタクの身勝手で自己完結的な思考をこじらせた末、どんな向き合い方ができるだろうかと考えた結果、とりあえずAmaitsukiについて自分が何を思ったかを吐き出してみるくらいしかできないと思ったので、5年ぶりにアイドルについて思うことをこうやって書いている。

 

最後に断っておくと、何度かAmaitsukiと日韓のアイドルを比較するような記述をしてきたが、これは優劣をつけたいわけではなく、単に前提が全然違うということを言いたかっただけである。実際に自分はAmaitsukiも日韓のアイドルもそれぞれ好きだ。

なんの因果か、数年前であれば考えもしなかったフランスに住んでおり、めぐり合わせでAmaitsukiを好きになった。星の数ほどいる中から熟考してたった1つのアイドルを選んだわけではなく、たまたまフランスに来たからたまたまAmaitsukiを好きになった。人生もアイドルも、そんな偶然の出会いを楽しんでいきたい。

 

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