AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100 2011 /サテライト中継・新時代のアイドル現場/AKBというモンスター

始めに

AKB48 リクエストアワーセットリストベスト100 2011を観に行った。場所はワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘のサテライト中継。渋谷AXがどれほど素晴らしい空間だったのか、どんな曲がランクインしてどんな発表が行われたのか、そのような情報は他所にお任せするとして、「社会現象」と呼ばれるAKB48が提供する新時代のアイドル現場が、ハロ現場や地下現場をそこそこかじった身からしてどれほどの異次元空間だったのかを書き記したいと思う。

劇場に対する個人的な思い入れを少しだけ。自分は5歳で新百合ヶ丘近郊に引越してきて、名前通り新しい街新百合ヶ丘の発展と共に育った。新百合ヶ丘という街は3つのデパートに囲まれた車社会の街で、少々変わったカラオケ店が一つある以外に遊び場はなく、中学生以降は一人でしばしば映画を見に行った。ワーナーマイカル新百合ヶ丘民としてのアイデンティティのひとつでもあったし、日本映画学校川崎市アーツセンターと連携してしんゆり映画祭というイベントが行われる街でもある。

そんなワーナーマイカル新百合ヶ丘AKB48のライブ生中継が行われるという。単なるイオン資本のワーナーマイカルを新興駅のアイデンティティとして読み替えて、浅いながらも自らの街の歴史を紡ごうとしている中で、2010年オリコンランキングTOP10に4曲を送り込んだ"秋葉原"の名を掲げた新・国民的アイドルの生中継に劇場が使われることはジャック行為・一種の暴力的行為に思えた。もちろんそれは僕の勝手な思いこみに過ぎないのだけれども。

自分とAKBの関わりについて。

実は今回がAKB初現場だった。AKBの存在自体は2005年のデビュー時から知っていたのだが、特に劇場に行く機会がないまま徐々にメジャーになっていったAKB。2008年の大声ダイヤモンド(と松井珠理奈)をきっかけにメンバーの知識を深めたりシングルだけでなくアルバムの音源を手に入れたりしていたが、そこまで熱心ではなかった。
この日披露された25曲中知っていた曲はわずか3〜4割。メンバーは8割方認識できたと思う。

簡単なレポ

1月21日金曜日、2日目、75位〜51位。土日のチケットは既に完売で、2日目は280席の2番スクリーンで売り切れ間近。たまたま同じ劇場で見ることになった知り合いから「ロビーで高校生がMIXの練習をしている」との連絡があり、怖いもの見たさと多少の怒りを抱えながら劇場へと急ぐ。ロビーに入ると、普段とは明らかに客層が若い。ざわつくロビーで知り合いと落ちあうと、先程の高校生軍団は係員に注意されたとのこと。


20分前に劇場に入る。8割が中高生で女の子の割合も非常に高い。ポップコーンと飲み物とワーナーマイカルの標準装備だが、これから始まるのはアイドルコンサートである。戸惑いを隠せない。15分前から、メンバーの鼻歌や自己紹介などが始まるが、会場は沸かない。やはり生現場と違って温度は低いようだった。5分前、ほぼ満席状態となったあたりで桜の花びらたちのイントロの鐘の音が鳴り響き、ようやく歓声が上がる。メンバーによるアナウンスが入り、いよいよ開演である。

overture。期待したほど沸き上がらない。ズレる掛け声。サイリュームの使用率は1割弱。早めにチケットを取ったと思われる良席(=中央〜後列中央)には劇場参加経験がそれなりあると思われる中高生が積極的に盛り上がっている。全体的にコールの入りがいまいちだったり、MIXの日本語ver・アイヌ語verが弱い印象。女の子が多い影響もあるかもしれない。

順位発表の瞬間はどの曲も非常に盛り上がっていた。しかし特にキラーチューンが出てくる日ではないため、中盤まではMCのテンポもあまり良く無いこともあって少々ダレ気味だった。終盤は一転して53位〜51位まで転がる石になれ・渚のCHERRY・劇場の女神と名曲が続いたため非常に盛り上がってラストを迎えた。特に転がる石になれがこの順位まで落ちてくるとは予想できず、初めて会場全体でMIXだけでなく「オイ!オイ!」という掛け声が生まれ一体感を感じることができた。続く渚のCHERRYでは「あっちゃん」コールがこれもこの日一番の個人名コールとなり、「FuFu!」系のコールも初めてしっかり入った曲となった。

アンコールではAXの中継より先にアンコールを初めて自爆した高校生軍団はご愛嬌として、少ないながらも一定数の若いファンがアンコールを途切れさせずに頑張っていたのが印象的だった。

サテライト中継・映画館というアイドル不在の「現場」について

まず前提であり決定的なのは、この場にアイドル本人が居ないということ。この大前提をどう乗り越え、消化し、場が形成されるのか。
最初の印象としては、カラオケルームにDVDを持ち込みヲタ友達と一緒に鑑賞して盛り上がる行為と似ている、と思った。多くの中高生が2〜4人程度の連番で劇場に訪れており、MIXやコールも全体で盛り上がるというより仲間内で盛り上がっている印象だった。MCや曲中でも仲間内で会話を楽しんでおり、アイドルがいる空間との断絶をいい意味で消化できているなと思った。スクリーンの中のアイドルはこちらの動きはもちろん見えていない。それでも彼女たちにサイリュームを捧げるのは、スクリーンの中の幻想を心から楽しんでいるのか、それとも横に座る仲間内に「盛り上がっている自分」をアピールして空間を共有すること楽しんでいるのか。おそらくその両方ではないだろうか。

スクリーンに映される映像は、もちろん渋谷AXの客席からの視点とはまったく違う。生で複数の視点がスイッチングされ編集された映像が配信されている。ステージ真下から、斜めから、上から、観客が一緒に映る引きの画面、そしてアイドルのアップ。これも普段アイドルヲタがDVD鑑賞する時の楽しみ方と似ている。しかし何よりここは映画館であり、とにかく画面が大きい。大人数が売りのAKB48のステージとあって、大きなスクリーンを縦横無尽に動き回る彼女たちの姿は単純に魅力的であり、大画面に人気メンバーがアップされると主に女性の観客から歓声が上がることもしばしばあった。この反応は先日観に行ったジャニーズコンサートに似ていると思った。ジャニーズコンサートではうちわを持って応援するスタイルが主流だが、後ろの人の視線を遮らないように顔より高くうちわをあげるのはNGというルールがある。この点、我々は映画館に座って見ているため、前の人が多少サイリュームを振り回そうとも視線は十分に確保できる。

アイドル不在のため、生の現場に比べて歓声が少なく盛り上がらない=つまらない、と決め付けるのは早急かもしれない。若い男性ファンの集団は先ほど述べたように「ただの映像」に対しても生の現場動揺に盛り上がっていたし、女性ファンの多くは普段テレビで見慣れているお気に入りのメンバーが踊る姿をじっくりと「観る」行為を楽しんでいたように思われた。それは一人で訪れた観客や、それなりに年配の方、そして家族連れにも共通の楽しみ方だったかもしれない。
映画館の仕様上着席が強要され(今思うと座って観ろというアナウンスはなかった気もするが、わからない)、傾斜は付いているものの背もたれが深く大画面を見上げる形になってしまうため、声を出したり手を動かしにくく「観る」という動作に落ち着いてしまうのも原因の一つかもしれない。当然ながら、映画館は「観る」動作に最適化された空間なのだ。

同期性について

先に述べたように、曲だけを見ているとDVDを大画面で見ているような感覚に襲われ、コンサートの魅力であるリアルタイム性・同期性が失われそうになる瞬間がしばしばあった。しかしそこを引き止める唯一の要素が「順位発表」であった。このコンサートの最大の趣旨である順位発表によってサプライズが25回想起され、スクリーンに映る渋谷AXと新百合ヶ丘そして全国の映画館が同期する。そのため順位発表の瞬間は会場が非常に盛り上がる数少ない場面でもあった。

視点について

スクリーンに映る映像は複数の視点が編集されたものである。曲披露の際には我々はアイドルに対して三人称と二人称の立場で揺れる。例えばメンバーがカメラに向かってポーズを決めれば2人称の関係を読み込めるし、フォーメーションを俯瞰する時と渋谷AXの観客とステージが同時に収められた画面とではアイドル(ステージ)−観客(渋谷AX)−観客(映画館)の3者の関係性は異なってくるし、この揺れる人称と視点がサテライト中継オリジナルの魅力とも言える。例えば運良く渋谷AXに入ることができた観客であっても、よほど前列でない限り途中でステージ上のアイドルだけでなくバックステージのスクリーンを観ている瞬間があるはずである。その視線の往復がスイッチャーの編集の手に委ねられているとは言え、我々は圧倒的な大画面でそれを観る事ができる。
その分、MCの時間は映画館の観客にとって非常に苦痛な瞬間となりかねない。メンバーは定期的に「1階の皆さん、2階の皆さん!」というお馴染みの煽りに加えて「そして全国の映画館の皆さん、香港の皆さん!」と我々のことを言及するのだが、それによって我々がメンバーから遠く離れた場所にいること、そして我々が見ているものがただのスクリーンでしか無いことを再確認してしまう。また、MCというのはステージと客席の間でインタラクティブなやりとりが発生する場面でもある。アイドルの発言に対してツッコミを入れたり歓声をあげたり時には困らせるようなことを言ったり。アイドルに自分の発言を拾ってもらうために観客の野次は過剰になることも多々あるが、映画館の我々は時折小さく歓声をあげることはあってもさすがに野次を入れることはしない。そこに大きな断絶があることは解りきっている。そのためMCでは圧倒的な第三者として映像を眺めるのであるが、アイドルのMCというものは基本的につまらないものと相場がきまっている*1。今回の例外はノースリーブスの3人くらいなもので、それ以外のMCを楽しむことはあまり出来ず、会場の空気も冷ややかだった。

具現化する歌の力

アイドルの不在。「観る」事に特化した劇場で様々な視点を楽しむこと。仲間内で盛り上がる楽しみ。薄氷の同期性。
そんないくつかの特徴を考えながら観ていた終盤戦。状況は一変した。
53位にランクインした『転がる石になれ』。上位の常連曲がここに落ちてきたことで、会場の空気は一変し、思わず自分も声を上げてしまった。始まるイントロ。この日一番の盛り上がりを見せるMIX。MIXは非常に強い武器である。今日の公演中でもメンバーの誰かが「みんながなんて言ってるかわからないから全部ファイヤーって言ってる」と述べたように、正確な単語単語をしらなくてもそれらしい言葉を8回叫ぶだけでいままでバラバラだった会場が一つになり、空気が変わり、この瞬間に全国にサテライト中継された映画館の全てが渋谷AXとひとつになった、そんな感覚さえ訪れた。もちろんこれはMIXだけの力でなく、『転がる石になれ』さらには歌い手のAKB48が持つパワーが具現化した結果であろう。
キラーチューン1曲とMIXだけで、スクリーンという壁を打ち破り、AKB48という得体のしれないパワーを持ったモンスターを介して渋谷AXに集まった熱心なファンと全国の映画館に集まったいわゆる「アイドル現場」に不慣れな中高生が接続される。ただの映像と音声がファン歴という些細なものから空間までを破壊し身体に働きかけてくる刺激に対して、僕たちはただ動物的に圧倒的な快感に酔いしれていた。この力と快感を否定することは出来なかった。
一度この快感に飲まれてからは、渚のCHERRYでは今まであまり好感を持っていなかった前田敦子(の映像)に対しても全力で「あっちゃん」コールをしていたし、アンコール明けラストのヘビーローテーションでは「I want you I need you」と一緒になって叫んでいた。
2日目にしてこの有様である。後2日、「転がる石になれ」より上位に来る曲が50曲もあるのだ。チケットを持ったファンにとって、きっと素敵な土日になるだろう。

まとまらないまとめ AKB48の身体性

ふと初音ミクライブのレポートを思い出す。我々にとってアイドルの身体そのものは必要なのだろうか。映像と音声がそこにあれば、ファンが集まるだけで十分な快感は得られるのではないだろうか。だがしかし、その映像と音声だけでは説明できないパワーを生むAKB48を形作るメンバーは紛れもない人間であることは間違いない。

大掛かりなメディア戦略で全国の話題の中心となったAKB。秋葉原の名を背負ったアイドルグループは、全国レベルで様々なテレビに出演し雑誌の表紙を飾る。彼女たちは何かを破壊しているのだろうか。ワーナーマイカルシネマズ新百合ヶ丘は本当にAKBにジャックされてしまったのだろうか。
彼女たちのムーブメントもいつかは終りが来る。それはプロデューサーもそしてメンバー本人たちが一番理解していることではないだろうか。今年、良くても来年あたりがピークになってしまうかもしれない。2011年、彼女たちは全国の映画館を同期させ、身体をヴァーチャル化し、それをもう一度具現化させるという離れ業をやってのけた。昔書いた「初音ミク出馬せよ!」という初音ミクの身体性についてのエントリを思い出した。
http://d.hatena.ne.jp/nhokuto/20091213/1260722698
冗談ではなく、AKB48初音ミクを超え、僕は奇跡の瞬間に立ち会っているのではないだろうか、という気さえしたのだ。

蛇足

身体性を全国に拡張・同期させ圧倒的な快感をファンに届けること。それとファンの実存に働きかけるパワーを与えることはまた別の話である。それほどアイドル現場経験が多くない中高生に対しては十分心をつかむことが可能だろう。
自分にとってはどうだったろうか。正直に言うと、十分楽しかったが、同時にハロプロのコンサートに行きたい、身体を動かしたい!と思った。もちろんどちらが上という話ではない。そもそも生の現場と中継現場を同じ土俵で比べようという発想が間違っている。値段も席の数もまったく異なるのだ。お金もない中高生にとって、容易にチケットが取れて2400円でこの満足度を得られるのであれば十分お釣りが来る内容であろう。そもそもアイドル現場というものは非常にハードルが高い。基本的に男性が多く、ハッキリ言って「怖い」と思う。汗の匂いが臭いし、前の人にジャンプされると前がまったく見えない時もある。そういうリスクを避けるためにも、AKBライブの映画館中継というのは程よい選択肢の一つになりうると思う。

蛇足の蛇足 AKB48オトメ☆コーポレーション

現在23歳の自分が同級生とカラオケに行くと大体10年前のハロプロの曲で皆が盛り上がれるように、若い中高生もきっと「共通言語」としてAKBを楽しく需要できているだろう。
そんな時代に、いまだに何か救済のようなものを求めてアイドルを追いかけている自分にとって、AKB48に「何にも変えられない存在」を見出すのは困難であろう。秋葉原、メディア、そして地元の映画館さえ埋め尽くしてしまうAKB48
彼女たちのカウンターとして、オトメ☆コーポレーションという地下アイドルを追いかけて松本のショッピングモールで行われる無料ライブまで足を運んだりもした。長野県伊那市公認アイドル、オトメ☆コーポレーション。神奈川県のイオン資本映画館にヴァーチャル化した身体を運び再具現化させてジャックするAKB48と、東京から松本までキャリーケースを抱えて移動し、カタクラモールをジャックするどころかストレンジャー<異物>として扱われながらもなんとか間隙を縫って活動の場を作るオトメ☆コーポレーション。両者を並列で眺めることに、何か意味はあるのだろうか。それはまた別の話ということで。



まとまらない話もここまで。では。

*1:偏見ですか?