文学フリマ感想 『メロン記念日解散に寄せる』


No Knowledge Product『メロン記念日解散に寄せる』
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綺麗な装丁の同人誌が多く並ぶ中、二つ折りで簡素な作りの、メロン色に輝く冊子。そこにはメロン記念日に対する愛が溢れていた。

執筆陣全員の原稿が、書き出しが(明示的でないにせよ)一人称の文章で始まっていた。淡々とした文体で書かれているものの、そこには強烈なまでに「自分」の実存にかかわる問題としての「メロン記念日」に対する感情が圧倒的に吐露されていた。

僕はメロン記念日に対してはいちハロプロファンとして一般人よりは詳しい知識はあるものの特別な感情は持ち合わせていなかった。しかし、帰りのバスの中、本日購入した同人誌の中で一番作りがチープで読みやすそうだと思い手にとったこの冊子を読んで、思わず泣きそうになってしまった。


メロン記念日といえばその激しいライブパフォーマンス、そしてハロヲタの中でも一目置かれる存在でありモッシュ・ダイブを好む「メロンヲタ」が有名である。各執筆者の文章内でもたびたび言及されているように、メロンではヲタたちは「ヲタもだち」と呼ばれ、比較的強固な連帯感が生じている。その一方で執筆者にはそれぞれの心のなかに強固な「自分にとってのメロン記念日」が存在し、この文章では後者のメロンとどう向き合うか、絶望感と新たな希望の葛藤が痛々しいまでに書かれている。
ヲタもだち」にとってのメロン記念日、自分にとってのメロン記念日。『アイドル領域2010春増刊号』で斧屋さんが論じているように、アイドル−ファン間の二つの関係性を、メロン記念日は極めてラディカルに示していた。そして、『メロン記念日解散に寄せる』を読んで一番感じたのは、メロン記念日の解散=アイドル*1の死を契機に、個別的な関係性と集合的な関係性が止揚されて弁証法的に普遍性を持ちうる可能性を見出されたのではないか、いや、普遍性というよりも、全部ひっくるめてメロン記念日、いやもはや何をいいたいのかわからないけどとにかくメロン記念日は素晴らしかったんだな、というわけのわからない気分がきっと執筆者の共通の思いだったのではないか、ということであった。


アイドルの死と永遠性。
愛してますか?言い切れますか?
天国ですか?地獄ですか?
愛してますか?


そうだ。僕たちはアイドルを愛しているのだ。

*1:ここでメロン記念日をアイドルと定義することの是非が問われるかもしれないが、アイドルであり、ROCKであり、わけのわからない、それこそひとつの言葉に定義できないなにかを持ったもの=「アイドル」、とするのがいいのではないのかなと個人的に思っている