カリーナノッテ/コピンクと宮本佳林/今がいつかになる前に

カリーナノッテ

カリーナノッテ


静岡朝日テレビで放映中の情報番組「コピンクス!」の番組内キャラクター「コピンク」が歌う『カリーナノッテ』がAmazon等で配信中であり、Amazon MP3ダウンロードランキングでは連日1位を維持している。「コピンク」の声優を担当し、『カリーナノッテ』のボーカルを務めるのは、ハロプロエッグに所属する宮本佳林である。

「ピンクス!」番組サイト:http://www.satv.co.jp/0300program/0095pinkss/

この『カリーナノッテ』はストリングが瑞々しく爽やかなメロディで、90〜00年代前半のアニメソングのような、例えば坂本真綾の楽曲を連想させる、不必要な装飾・記号を削り落とした非常に素直なアイドルソングである。とにかく聞いていて心地が良い。

ボーカルの宮本佳林ハロプロエッグという研修生の立場であるが、ハロー!プロジェクトのシャッフルユニット「新ミニモニ。」に選ばれるなどの活躍をしており、エッグ入りしてからすぐに「即戦力」として話題となり将来を嘱望されているアイドルである。しかし誰もが認める高いポテンシャルを持ちながら、過剰な期待を負わされている節があり、特にモーニング娘。9期オーディション、スマイレージ2期オーディション、モーニング娘。10期オーディションと2011年に連続して行われたオーディションでは常にカリン待望論が沸き起こったものの、それぞれ譜久村聖竹内朱莉&勝田里奈工藤遥ハロプロエッグからユニット昇格を果たした。そのために宮本佳林を巡るファンの論争は喧々囂々、彼女に対する高評価も以前に比べて盛り下がってしまったように思われる。そのタイミングで、2011年末、配信限定ではあるものの実質ソロ名義で『カリーナノッテ』が発売された。
宮本佳林の魅力は何なのかと問われたら、ダンス・ボーカルスキルもさることながら、時に「嗣永桃子2世」と呼ばれることもあるように、そのアイドル的振る舞いが挙げられることだろう。「カリン様」という呼び名が表すように、ステージパフォーマンスでは群を抜いており、声質・仕草は「嗣永プロ」の系譜を継ぎ、己のアイドル性に対して強く自覚的であるようなメタアイドル的振る舞いに長けている。
しかし、嗣永桃子福田花音といった先輩たちに比べると、宮本佳林を彼女たちと同じように扱うのは危うさが残る。確かにステージ上では輝きを見せるものの、MCなどトークの場面では先輩たちが見せる強さを発揮できていないし、そもそも本人がそのような「キャラクター」として期待・消費されることに自覚的であるかどうか怪しい。
我々はどうも嗣永・福田、ハロプロに限らずアイドル的振る舞いに自覚的なアイドルたちに慣れきってしまったせいか、宮本佳林に多くのことを押し付けすぎていないだろうか。

宮本佳林を見ていると、2010年に上演された舞台「今がいつかになる前に」のことを思い出す。そこで宮本佳林が演じた「未来」と言う名の少女は、素直な心を持っているものの、教室の空気に必要以上に敏感なために「いじめ」に手を染める。それに対し、工藤遥が演じる「叶多」は芯が強く周りの空気に絡め取られることなく正義を貫きいじめを止める少女である。この絶妙すぎる配役の舞台を見たときに、工藤遥宮本佳林という対極のタイプにある2人が将来ハロプロを背負う2TOPになる図を思い描いた。ご存知の通り、工藤遥モーニング娘。10期メンバーに選ばれ、ルックスからは想像できない歯に衣着せぬ物言いで評判となり、己の道をまっすぐに驀進している。
工藤遥に対して、宮本佳林は取り残されてしまった。それは「今がいつかになる前に」でも工藤遥との対比で示されたように、カリンは非常に素直で、周りの空気を読みすぎてしまう点が原因ではないだろうか。鮮烈なエッグデビューから一貫して見せるアイドル的振る舞いは天性のものだが*1、そこからプラスアルファの要素を表に出せていない。あくまで「みんなが想像するカリンちゃん」の範疇にとどまってしまうし、甘い声質ながら「つんく歌唱」と呼ばれるハロプロ伝統の歌い方の癖が飛び抜けて強く、とにかく「いかにも」な見え方になってしまう。「3億円少女」「1974」といった舞台では、キムタクがキムタク役にしか見えないとしばしば揶揄されているのと同じように、良くも悪くも「カリンちゃん」役でしかないという弱点が浮き彫りになっていた。きっとこの「カリンちゃん」として既に小さくまとまってしまっているイメージがオーディションでも最後の決め手に欠く原因になってしまっているのではないだろうか。

そんなカリンが、「コピンク」という殻をかぶり、『カリーナノッテ』では「メタ・アイドル」としての振る舞いからはかけ離れた、古きよきアイドル像を嫌味なくまっすぐに歌いあげることで、絶妙な魅力が溢れて出している。『カリーナノッテ』の作詞者「児玉雨子」、なんと1993年生まれである。この年代の女性(女の子?)が古き良きアイドル像をまっすぐに描き出すで、リアルとファンタジー性を併せ持つ妙なバランスのアイドルソングが現代に蘇ったのだ。

隠したいホントの私見ないで
瞬く濡れたまつげミアーミ
ビアンコロッソもアマラントも全部ホントは魔法なんてないから

だって もっと正直になれたらとか
小手先の嘘だとか
なんてそんなのじゃそんなじゃないはずでしょう

2番のBメロ〜サビの部分である。「魔法」「ホントの私」といった手垢の付いたキーワードが必要以上に記号で纏うことなく配置してあるが、宮本佳林という現代型メタ・アイドルキャラクターの「正直なホントの私」を、ティーン・エイジャーの非・職業的女性作詞家の感性をもってストレートに見えてどこかぶれた回転でもって抉り出し、それを90〜00年代アニメソング風の疾走感のあるメロディが支えることで、臭みもなく、淡白でもない、いつまでも飽きない味に仕上がっている。全体を通じて「つんく歌唱」は封印されており、実にのびのびとしたボーカルがカリンの新たな魅力を引き出し、それでもちょっとした場面で心をくすぐられるポイントが滲み出ている。

素直になればなるほど、本来持ち合わせていたカリンのアイドル性が浮かび上がってくる。過剰な装飾や音で「意味」を無効化する、あるいはすべてを「物語化」してしまうようなアイドル楽曲が注目されがちな中で、『カリーナノッテ』のシンプルで真摯なアイドルソングとしてのあり方は、これはこれで力強い。
いまは「コピンク」の殻を借りているが、「カリン様」や「カリンちゃん」を取り巻くさまざまな意匠をすべてコピンクに預け、歌声だけで、今までになくストレートにのびのびと透明感を持って歌いあげることで、カリンの純粋な魅力のひとつが引き出されたように思える*2。カリンが今後どうやって自分を表現していくのかを考えるいいきっかけになったのではないだろうか。「今がいつかになる前に」、カリンが今のまま「カリン様」や「カリンちゃん」として終わらないように、「未来」と名付けられた役を演じた一人の少女の行く末を楽しみに待っている。

2012/1/4追記:http://togetter.com/li/236847

*1:嗣永・福田という先輩たちの名前を度々出しているが、彼女たちに共通するのは、たしかにメタアイドル的振る舞いにはもちろん自覚的であるが、生来的にそのような振る舞いをみにつけて育ってきたという前提を忘れてはならないということであろう

*2:12/29 文意が伝わりにくかったので修正