演劇初心者が行くBerryz工房 劇団ゲキハロ第9回公演『三億円少女』@池袋サンシャイン劇場/桃子は主役になれるのか

ゲキハロの感想。本当に面白かった。ネタバレ全開で全力で行きます。長いです。


三億円少女。前代未聞の主役日替わり7人。主役と合わせてそれぞれのメンバーが3〜4役を受け持つという。
観に行ったのは23日の菅谷梨沙子主演回と、25日の嗣永桃子主演回。

まず23日に梨沙子の回を見たときに思ったのは、まず生で演劇を見るということの圧倒的な迫力。今まで見たことがあるのは学生レベルの演劇だけであり、プロの役者・演出による演劇の力に素直に驚き、物語に引き込まれ、ラストシーンでは自然と涙がこぼれてきた。
なんといっても主役の梨沙子が素晴らしかった。また、Berryz工房の他のメンバーの配役もぴったりだった。アイドルはその活動を通してキャラクター性を帯びるものだが、アイドルの演劇というものは演劇の中でも特別なジャンルであり、仮に「配役−役者」という二項対立で捉えたときに、アイドルが持つキャラクターに合わせて役をつくる、つまり役者が配役に合わせるのではなく役者に合わせた配役を行うという要素が強いのだろうかと思った。23日の配役は以下の通りである。

依子(三億円少女):菅谷梨沙子
琴絵(依子の友人・語り部):徳永千奈美
香澄(看板娘):嗣永桃子
緑(香澄のバンド仲間):熊井友理奈
万里子(アナウンサー):須藤茉麻
糸江(女将の長女):清水佐紀
明美(不良少女):夏焼雅

組み合わせ的にこれ以上良いパターンは考えられない、というくらい上手くはまっていた。特に雅の不良少女。DVD収録もこの梨沙子主演回らしいので、この回はある種の予定されたベスト配役と言えるだろう。

が、しかし、この配役が毎回続くわけではない。23日に梨沙子が初演を迎えるまでに、すでに5人のメンバーが依子を演じてきた。TwitterのTL上ではネタバレを避けながら今回のゲキハロはかなりの出来であるという感想が次々と流れてきた。つまり梨沙子以外の主演でもしっかりと成り立っているらしい、ということだ。
23日夜公演のアフタートークで主演の梨沙子以外にもう一人メンバーを舞台上に呼ぶのだが、今回選ばれたのは桃子だった。質問に上手く答えられない梨沙子やなぜか異様に緊張している劇団員を尻目に、壇上の空気を完全に持っていく桃子。そして7人のうち最後に主演を迎える桃子は、明後日の自分の主演に向けて、「バイクに乗れるか心配ですか?三輪車とか出されちゃいますか?」と冗談を交えながら、自分なりの依子を演じたい、と宣言した。大した度胸である。

さて、迎えた25日。桃子初主演にして東京千秋楽。配役は以下の通り。

依子(三億円少女):嗣永桃子
琴絵(依子の友人・語り部):須藤茉麻
香澄(看板娘):清水佐紀
緑(香澄のバンド仲間):夏焼雅
万里子(アナウンサー):徳永千奈美
糸江(女将の長女):菅谷梨沙子
明美(不良少女):熊井友理奈

23日に比べると、全入れ替え。
冒頭のシーンで現れた警官姿の桃子は、絶望的にちんちくりんだった。自身がいかにネタにしようとも、この不自然に小さい、警官のコスプレをした少女がバイクに跨ることが出来るとは到底思えなかった。7人入れ替わり主演と決めた時点で、桃子が圧倒的に不利な位置に居るのは明確だった。なにしろ依子は昭和43年(42年前!)に広島から上京してきた少女なのだ。素直で仕立てが良くて芯が強く純粋な田舎の少女。キャピキャピのアーバン的なアイドルである桃子が演じるには、始めから荷が重すぎるのだ。
この日のアフタートークの締めで桃子は「演技が苦手」だと言っていた。それに対し、一部の客席のヲタからは「えーー!!」というライブではお決まりの声が上がり、桃子は「締めの邪魔しないで!」と軽く怒っていた。いつものツアーコンサートの締めであったら実にお約束的な絵になっただろう。しかし、僕は桃子の「演技が苦手」という言葉になんだか納得してしまった。
最近ではそこまで聞かないが、「嗣永プロ」という呼び名はまだまだ健在である桃子。今更説明はしないが、その立ち振る舞いは常にアイドルとして計算されているかのようで、それが「演技が苦手」発言へのあの反応へとつながったことは容易に想像できる。だが、果たして桃子の振る舞いは「計算」なのだろうか。僕にはわからない。人間は誰しも仮面を被りながら、そして大抵はいくつかのペルソナを使い分けて生きている。アイドルとてもちろん同じである。もしアイドルという表層の下に「素の・人間としての部分」があると仮定するのなら、桃子はこの素の部分でアイドル的な振る舞いをすることに長けている人物ではないのか。そうならば、もはや桃子は常にアイドルの演技をしているとも常に素であるとも言える*1。ラジオなどでも桃子はいつも「ぶりっ子」「演じている」と言われると、必ず拒否してみせる。お約束とも、本心とも言えるその振る舞い。素と演技で揺れ惑う、それが桃子。
その桃子が普段の優しい依子を演じる前半部は、「いつもの」キャピキャピとした桃子が抜け切れ無い。声は上ずり、テンションはどこか高め。もし桃子が普段完璧なアイドルを演じているとするならば、これはおかしい。あまりに役柄と本人のキャラクターが乖離しているとはいえ、「いつもの」桃子の影がちらつく姿が、演技が苦手という桃子の言葉を聞いてすぐに浮かび上がってしまった。
一方23日のアフタートークで「依子と自分が重なる部分は?」「依子に共感した台詞は?」と尋ねられても、少々考えた後に「わからないです、すみません」と謝る梨沙子。しかし、梨沙子の演技は本物だった。前半部の優しさと、後半部の強さ。両方を切り替えるというより、同時に強さと優しさをあわせ持つ梨沙子の依子。一郎と純弥、どちらを選ぶでもなく、二人を愛した依子。そして42年の時を経て(幻想の中で)再開した一郎に、広島弁のイントネーションで「と」にアクセントを置いた「ありがとう」・・・。その台詞は僕の心にどこまでも深く響き、涙があふれた。この博愛に満ち力強さを兼ね備えた非常に魅力的な依子を、おそらく梨沙子は頭を使って「演技」するのではなく、心で感じ取って素直に表現したのだろう。昔からどこか間が抜けているようで時に鋭さ・感の良さを見せてきた不思議な少女、梨沙子。かつて「天使」と形容されたルックスは変われども、中身は天使のまま。でも、確実に成長している。梨沙子は「間違えたところもあったけど、感情で乗り越えました」と力強く答えた。演技に必要なのは一字一句を完璧に頭に入れて喋れることではない。いかに感情を表現して、観客を惹きつけることが出来るのか。僕はずっと梨沙子に惹かれっぱなしだった。
再び桃子。25日のアフタートークで、同じ壇上にいる劇団員の一人に「私の魅力を観客の皆さんに伝えてくださいね」と迫り、彼が苦し紛れに「台詞を完璧に覚えてて、真面目に練習してて・・・」と答えると、「もーいいですよーー!!」と遮る。まるで梨沙子とは正反対ではないか。台詞回しは上手かった。まぁさの証言によると、FCハワイツアーの最中も宿で台詞合わせに励んでいたという。ハロコンでもシャ乱QまことにMCも練習に余念がなかったことを暴露され怒ってみせたように、桃子は裏側の努力を見せることを嫌がる。誰かが面白半分にばらさなくても、桃子が(もちろん全員が)裏で壮絶な努力をしていることはありありと想像出来る。いや、きっと想像以上に過酷なのだろう。さらに付け加えるなら、桃子はBuono!などの活動もあり、他のメンバーより稽古が遅れていたという。それでも最多の4役をこなさねばならない。懸命に努力して、台詞はほぼ完璧に演じることが出来た桃子。それでも、単純な演技の出来では梨沙子にはかなわなかった。無理もない。そもそも依子は桃子に合うようには設定されていない。
しかし桃子は、もちろんそこで言い訳するわけでも、諦めるわけでもない。23日に決意表明したように、桃子は桃子の依子で勝負するしかない。それはたぶん、振り幅を最大限に生かした演技だった。
前半のキャピキャピとした姿から一転して、純弥に対して激しく怒りを露にする桃子。ほとんど金切り声に近い、高く響きわたる、感情のこもった叫び声。梨沙子の依子は厳しさの中に優しさが同居していた(改めて言うが厚みのある演技だった)のに対し、桃子は両者を明確に切り離した。怒り。悲痛な叫び。その小さな体から発せられる精一杯の感情表現だった。
そして三億円強奪を決意し、現金輸送車の窓から覗く、ちんちくりんな警官の顔のアップがスクリーンに映し出される。その眼差しは、コンサートでも時折見せる、凛とした表情だった。僕はこの桃子の眼差しが心から大好きだ。しびれて動けなくなる。何十にも張り巡らされたアイドル的な笑顔に、一瞬だけ差し込まれるこの表情。これを見るために桃子を追いかけている。そんな気さえする。ちなみに梨沙子の時は、困ったような表情をしていたように思える。何にせよ、スクリーンという飛び道具を使うだけあって、かなりの見せ場である。この表情に、7人それぞれの依子が凝縮されているはずだ。

初主演を終えた桃子は、その感想を求められると、我々の予想を裏切り「全く緊張しなかった」と言ってのけた。本心かどうかはわからない。本当に緊張しなかったのかもしれない。演技が苦手であることを自覚しながら、常人からすればとてもではないが耐えられない場面で、桃子は桃子なりの依子を立派にやり遂げた。そんな桃子が相変わらずキャピキャピさを匂わせながら歌うラストの「故郷の空」に、またしても涙が止まらなかった。


さて、この三億円少女を見た人であれば、言及せざるを得ないであろう一人の少女がいたはずだ。たとえどの公演を見たのであっても。そう、主演を任されることはない、7人以外の少女。本名と同じ、「カリンちゃん」役の宮本佳林である。
「かしこくたくましい娘」とパンフレットで紹介される、ハイエナジャーナリストの娘「カリンちゃん」。下手すると舞台を全て持って行ってしまいかねない破壊力を秘めた、恐ろしい少女だった。このブログでも新人公演の際には必ず言及している(言及せざるをえないのだ)カリンちゃん改めカリン様。ハロプロエッグの次世代エースである。このカリンちゃん、いちいち仕草が憎い。可愛すぎて憎い。リアリティ?そんなものはない。あの物語の中で唯一「アイドル」であることを許された存在なのだ。登場人物ではない、心ゆくまで「アイドル」を演じれば、というかいつものようにやれば良い。ちなみにもう一人のハロプロエッグ田辺奈菜美はただの「可愛い幼女」であることを許されている。演技なんか出来なくていい。
23日の公演では桃子が「さめている看板娘」の香澄役だったのは幸運だった。物語後半、ジャーナリストとバンド仲間「緑」の台詞の最中に、舞台の反対側でカリンちゃんの行く手を香澄が遮るというシーンがある。他の人が台詞を回している分、「画面外」で遊ぶことが出来るシーンだ。これでもかというくらいにわざとらしく演技がかった動きを繰り返す2人。桃子とカリン様。新旧ぶりっ子エース対決。他ではカリンちゃんに好きにさせていても、この場面だけは桃子も譲れない。激しすぎる火花が散り、笑いが起きる観客席。「そっちこそヒス起こさないでよ!!キーーー!!!」肝心の台詞を持つ2人が可哀想なくらい、カリン様と桃子の見せ場だった。
そう、桃子がもしカリンちゃんのような「舞台内のアイドル」を演じるのであれば、今回こんなに目立っていたいや目立ちすぎていたカリン様にも決して負けることはないだろう。事実、25日に桃子が依子を演じ、香澄は清水佐紀ちゃんが演じていた日には、残念ながらカリンちゃんとのやりとりの際には笑いは全く起こらず、淡々と台詞が流れていた。
桃子はカリンちゃんの位置で満足していてはいけない。これは演劇なのだから、たとえ自分と役のイメージが一致していなかったとしても、自分なりの役作りに挑戦しなければならない。そして桃子は立派にやり遂げた。


桃子は主役になれるのか。
Berryz工房というユニットでは、センターはほぼすべて菅谷梨沙子が務めてきた。歌が上手いから?踊れない、しゃべれないのに?いや、そういうレベルの問題ではない。ベリは梨沙子がセンターにいないと成り立たないのだ。7人の中で最年少で、ファンからも、メンバーからも、皆に愛される梨沙子。どこか放っておけない、でもやるときはやる。不思議な少女。
桃子はどうだろうか。歌える。踊れる。喋れる。アイドルの鑑。しかし、桃子はセンターではない。桃子はトリックスターと形容する以外に無い存在だ。ウザがられ、弄られ、放置され。でも、そんな桃子がいるから他のメンバーが輝く。Berryz工房がマンネリに陥らないのは、桃子というかき回し役の存在という要素の貢献が大きいのではないだろうか。ベリは比較的前列・後列が固定化されているが、後列だからといって目立っていないわけではない。2009年コンサートツアーのタイトル「目立ちたいっ!!」が示すまでもなく、全員がこんぺいとうのようにそれぞれ尖っている。それは時に「ギスギス工房」などと揶揄されるようにメンバーの不仲として受け取られることもあるが、その刺激が5年以上(ほぼ)同じメンバーでグループが存続している理由でもあるのだろう。そしてまだこれからもベリは進化していく、そんな予感がした7人入れ替わり主役公演、「三億円少女」。こんな公演、果たしてBerryz工房以外に可能なのだろうか。
Berryz工房は7人全員が主役になれるのだろうか。梨沙子以外の6人も、主役になれるのだろうか。それはいつか桃子・梨沙子以外の5人の主演公演をすべて見てみないとわからない。特に熊井ちゃん。桃子がちんちくりんだったとすれば、あの大きすぎる熊井ちゃんはどんな依子を見せてくれるのだろうか。芯が通っている点などは熊井ちゃんにぴったりであり、実際に熊井ちゃんの依子が良かったという声も僕の耳に届いている。


だが、少なくとも桃子は立派に主役を演じきっていた。それはこの目で確かに見た。そして「桃子は桃子だ」、そんな確信をさらに深めた。やっぱり僕にとってこの嗣永桃子という存在は特別なものだったのだ。そう思い返す、素晴らしい舞台だった。

*1:桃子ヲタというものは最初はプロであることに喜び、次第にそれが素であると思うようになり、最後はわからなくなる、という進化図をどこかで見たが、悔しいがその通りになってしまったようだ