こんなのアイドルじゃナイン!?/テレビと9nineのアイドルリアリティ

今期の日テレ木曜深夜は、おなじみAKBによるバラエティ番組『AKBIONGO!』の直後にハロプロ総出演のドラマ『数学女子学園』、そして9nineによるシチュエーションコメディ『こんなのアイドルじゃナイン!?』という並びになっており、アイドルファンにとって濃厚な時間となっている。
AKB・ハロプロの2大(1.5?)巨頭に、新興勢力代表としての9nineという図を殊更強調しなくても、それぞれの番組にそれぞれのアイドルの特徴が良くも悪くも読み取れてなかなか興味深い。AKBに関しては『AKBINGO!』ではなく、新番組のまゆゆこと渡辺麻友主演の『さばドル』に注目すべきであろう。今後の展開次第で評価が変わるであろうということもあり、今回はAKB・ハロプロの番組には触れない。しかし「ガチ」を謳い現実を半歩ひねってアイドル的なリアリティと物語を生み出す力に長けたAKBだからこそ、テレビ番組というパッケージの中で現実をベースにしたコメディドラマを作るのであれば、現実のAKBという"ドラマ"が暗黙の評価基準となるため、非常に高いハードルが設定されてしまう。また、ハロプロに関しても、テレビメディアで少数の特定メンバー以外の露出がめっきり減った現状で、ハロプロファミリーの顔見せ以上のことができるのか、どこにターゲットを置くのか、数学をどう使うのかなど、求められるハードルは低いとはいえそれすら超えられるのか不安なところである。

今後の展開次第で評価保留のAKB・ハロプロの新番組に比べ、現時点で早くも「成功」と断言できそうなのが9nineの『こんなのアイドルじゃナイン!?』である。

http://www.ntv.co.jp/nine/

設定は"アイドルになりたい"部!!
女の子なら一度は心の隅で思ったことはある…はず!?
「アイドルになりたいっ」でもどうしたらアイドルになれるの?
アイドルに必要なのって…笑顔?体力?ダンスに歌?写真写りに熱湯風呂!? 
アイドルになろうという一途な夢とは裏腹に頓珍漢な努力を重ねる女子中高生達の日常を
9nineがオモシロかわいく描く、シチュエーション青春コメディで、ほのぼのとした笑いを作り出していきます。
「アイドルになりたい部」の顧問・権田麻理(平野綾)は、
アイドルの夢やぶれ教師になった猛烈なアイドルマニア・・・
アイドルグループ 『 9nine 』の5人が演じる「アイドルになりたい部」の部員たち(女子高生)に、
アイドルになるためのレッスンを指南します。

まず一番のポイントは、平野綾の使い方である。現状考えうる中で、これ以上にない配役ではないだろうか。
子役出身、声優活動にシフトしてからアイドル声優として爆発的な人気を得たものの、様々な騒動を巻き起こし、声優・アイドル・歌手・女優・タレントと様々な肩書きの間で揺れる平野綾。自分が表現したい姿とファンに受け入れられる姿のあいだにある深い溝をどう乗りこなしていくかという問題はアイドルに限らず表現者として重大な問題であり、それでも多くの人を巻き込み惹きつけていくパワーは紛れも無いものであり、皮肉にもそれが平野綾の「アイドル性」を引き立てる。
そんな若くして経験豊富(?)な彼女が、アイドルの何たるかを9nineに対し圧倒的な上から目線で語り尽くす厚かましさは、「お前が言うな笑」と視聴者の誰しもが突っ込むであろう、まさに痛快の一言に尽きる。
特に第2回目では平野綾「アンタたち、アイドルに何が大切か・・・これっっっぽっちもわかってない!重要なのは、人とは違う個性・・・ぶっちゃけ、キャラ設定よ!!」と宣言した後、小道具箱からメガネを取り出し、声色を極端に変えあからさまにあざとい「メガネキャラ」を演じてみせる。
平野がキャラ設定の例として「ぶりっ子」「ツッパリ」の"2大設定"を挙げた後、指名された吉井香奈恵が「ロリ」「ツンデレ」「不思議ちゃん」から始まり、「格闘家」「異星人」から、黒板に列挙された文字列の中には「アキバ系vs新橋系・築地系」「野菜系←→肉食系」といった意味不明なカテゴリが散見される。
「ぶりっ子・ツッパリの2大巨頭」が松田聖子中森明菜を指しているのは明らかであり、格闘家=愛川ゆず季、異星人=小倉優子など、平野綾(が演じる教師)のアイドル知識には一定の説得力がある。しかし最初に平野がメガネキャラで露悪的に示してみせたように、キャラ設定の過剰性はアイドルにとって決してプラスとはならないことを、平野綾が軽やかに笑いに消化してくれる。
AKBやももクロといった有名アイドルグループが採用していることから、自己紹介におけるキャラ設定紹介パターンを踏襲するアイドルは非常に多い。個性を求めるあまりに無個性化する、そのような「キャラ設定の罠」にはまってしまうアイドルも多い中、9nineの自己紹介は名前+あだ名というシンプルなものである。また、メンバーではなくグループ全体としても、所謂ポストAKBとして位置づけられるアイドルグループ群の中でも、9nineは「川島海荷がいるグループ」として片付けられがちな、比較的無個性なアイドルグループである。5人で再出発した新生9nine9nineを初めて知ったという人であれば、「川島海荷と、Perfumeあ〜ちゃんの妹(西脇彩華)と、センターのかっこいい子(吉井香奈恵)と、ちっちゃい子(村田寛奈)と、残りの可愛い子(佐武宇綺)」というようなざっくりとした覚え方をしている人も多いのではないだろうか。そんな9nineが必死に「キャラ設定」を勉強していく姿は、「キャラ設定」への皮肉を交えた笑いへのもうひとつまみのスパイスとなっている。

また、「アイドルになりたい部」としてヤル気がある(設定)なのは川島海荷以外の4人であり、川島海荷は人数合わせのために無理やり連れてこられたという設定もなんだかうまい。9nine自体、(初期メンバーであるにもかかわらず)川島海荷は客寄せのために無理やり女優の世界から「連れてこられた」イメージが抜け切らないことが否めないところを逆手にとっている。

9nineのアイドルとしての魅力はなんなのだろうか。そう言われると、なかなか言語化するのが難しいものである。しかし、そこをつきつめて考えていくと、どのアイドルにも等しく言えることであり、アイドルの魅力を「キャラ」などの要素・記号に還元していく営みの果てに幸せが待っているのかどうか定かではない。
ただ、この番組を見ていて思ったのは、9nineがこの番組の時間帯・形式に妙にマッチしているということである。ザッピングしていたら川島海荷に目が止まってなんとなく見てみたという視聴者を想像してみると、この番組は非常に「ストレスが少ない」のではないだろうか。

一応勢いだけでアイドルになりたい部を立ち上げた熱血系の西脇彩華(ちゃあぽん)
すでに歌やダンスレッスンを受けているクールな実力派の吉井香奈恵(かんちゃん)
真面目で全くアイドルには興味はなかったのに引きずりこまれた受難系の川島海荷(うみか)
絶対に自分はアイドルになれると根拠のない自信たっぷりの天然系の佐武宇綺(うっきー)
そして中等部からやってきた毒舌系少女の村田寛奈(ひろろ)

というキャラ設定はあるものの、はっきり言って「はしゃぐ4人、ため息を付く海荷」という図しか読み取れない。アイドルを使った番組にありがちな、アイドル本人とリンクした登場人物のキャラ設定という戦略を半ば放棄しているのが特徴的である。逆に言うと、海荷以外の4人のキャラを知らなくても見ていられる軽さがある。スタジオのセットを使ったシチュエーションコメディということもあり、4人の過剰な演技がバカらしくても、画面の写り自体がチープなのでストレスにならないのだ。そこに拍車をかけるのが最高にチープなテロップ等の演出である。このチープさは確信犯としか思えない。

アイドルとしての「キャラ」を見せることを放棄しているのであれば、コントとしての演技力や笑いを重視しているのかというと、それも違うように思える。海荷以外はほとんど演技初心者な上、アイドルたちに「アイドルになりたい少女」を被せるというあまりに安易な設定である。他の何かになりきる必要もなく、衣装もセーラー服という定番ものである。
アイドルがテレビに出演するには幾つかのパターンに分類できる。一番多いのは音楽番組のゲストとして出演し、トークと新曲披露を行うパターンだろう。また、バラエティ等に呼ばれて、芸人と絡んで笑いを取ることができれば、メンバー単体でテレビに出ることも可能である。
ゲストとして既存の番組に呼ばれるのではなく、アイドルをメインに据えた番組というのは、AKB以外では殆ど見られない。アイドルの冠番組も特定の分類が可能だろう。まずはAKBINGO!アイドリング!!!など、芸人を進行役に据えたバラエティ番組。次に、アイドルの活動の裏舞台に迫ったドキュメンタリー風番組。9nineも2010年末に新生9nineとして再始動する様を追った『GO!GO!9nine』がMX-TVで放送されていた。あるいは、アイドルがなんらかの企画・ミッションをこなしていく挑戦型番組も定番の一つである。
具体的にここ2年ほどのアイドルブームの中で地上波に冠番組を持ったことのあるアイドル名を挙げていくと、AKB系・ハロプロアイドリング!!!といったメジャーどころ以外だと、恵比寿マスカッツくらいしかとっさに思いつかない。その中で9nine冠番組を持つということは、それだけでなかなか立派(?)なことである。もちろんそれはテレビ業界・広告業界の力学に左右されるものであり、そこについて一般視聴者の自分が分析できることではない。しかし、『こんなのアイドルじゃナイン!?』は先程も述べたように地上波の深夜番組として妙にはまっているように思えるのだ。
近年のアイドルを語る上で、テレビの力というものが妙に冷遇されがちである。ブログ・twitterUstreamといったインターネット上の新しい形態のメディアや、握手会やライブといった「現場」における要素が注目され、テレビなしでもアイドルが成立する、あるいは「売れる」という風潮がどこか感じられる。確かに過去に比べ相対的にテレビの力が低下していることは事実かもしれないが、多くのアイドルの場合、「出たくても出れない」というのが実情であろう。
そこで再度9nineの番組がどのような作りになっていたかを考えてみると、何度も強調したようにメンバーの「キャラ」を見せているわけでもないし、裏舞台をカメラで追ったり様々な企画で彼女たちの素顔を映し出しているわけでもない*1。かといって、例えば『マジすか学園』のように物語を作り上げているわけでもない。この『こんなのアイドルじゃナイン!?』は、いうならばアイドルの「テレビ向きの等身大の姿」を映すもので、テレビというメディアによって担保されるリアリティの中で一番薄いところ、テレビ番組として成立するギリギリのところで踏みとどまっている番組ではないだろうか。
アイドルという存在のあり方が虚構/現実を相対化するのに対応して、映画・テレビ・ブログ・tiwtter・Googole+・Ustream・握手会・ライブ会場といったアイドルと接する様々な場を、アイドルの情報を媒介する多様化・重層化するメディア環境として捉えてみると、ライブ会場等の一次情報が伝達される場が最も「リアル」であるとするのはナイーブな考え方であり、それぞれのメディア環境ごとに、カッコつきの「アイドルのリアリティ」が存在しているように思える。そしてアイドルごとにどのメディアで自分たちを表現するのかが得意か否か、得意分野に差が出てくるのではないだろうか。
かなり恣意的な見方かもしれないが、そう考えたときに、9nineはテレビという非常に大掛かりなメディアにおいても場の力学に負けない芯の強さと軽さを持ち合わせているように思える。「テレビ向きの等身大」を表現するのが上手いのだ。その点に関してはやはり川島海荷という存在が大きいのかもしれない。

しかし、9nine川島海荷の力だけで成り立っているアイドルグループでないことは、少し9nineを見ていればすぐに気づくことである。それが端的に示されるのは、番組後半に挿入される「9nineがアイドルになった姿で歌い踊る“妄想”コンサートシーン」である。ここで9nineの持ち歌が披露されるのだが、曲・ダンスにおいて9nineのセンターを担うのは吉井香奈恵であり、川島海荷の寄与度はそこまで高くない。吉井香奈恵ともう一人の新メンバー村田寛奈も経験者だけあって小さな体から繰り出すダンスには非凡なセンスを感じるが、キャラクターと同様に特定の個人が目立つことなく5人でまとまりの良いパフォーマンスを見せてくれるのが9nineの特徴である。
そしてなによりもここで注目なのは、歌唱が生歌であるという点である。9nineでは生歌へのこだわりが強調されているように思われる。かといって全員歌が上手いかというと決してそうではなく、毎回挿入される“妄想”コンサートシーンでも、例えばジャニーズが歌番組でこのレベルの生歌を披露したら「大惨事」として語り継がれてもおかしくないような歌唱力が披露される。しかしこの生歌披露も、個人的には先ほど述べた「テレビ向きの等身大」という魅力を強化する方向に好意的に働いていたように思える。単に好みの問題と言われればそうなのかもしれないが、どのような切り口でもこれといった特徴が見当たらないが、その自然体な姿が不思議とテレビ的な演出の枠に収まってしまうのが9nineの特徴であると言うこともできる。この点に関しては、9nineが所属するレプロエンタテイメントに対して「背後の力」を感じさせないようなプロデュース方針の影響もあるのかもしれない。秋元康つんく電通、フジテレビといったワードが常にセットで語られがちなアイドルグループとの違いを感じる点でもある。9nineはCDリリース期以外はライブイベント等も少なく、公式ブログが有料(ファンクラブ専用)である*2というのも珍しい。リリースイベントも複数枚購入を促すような方法は取らず、他のアイドルグループと違い、あまり事務所批判が見られない、事務所の印象がそもそも薄いというイメージもある*3。このような見方がどこまで共有されるものなのか定かでないが、テレビに出る=資本を投入するという、消費者側が妙にマーケティング手法を意識してしまう最近ありがちな見方に陥ることもなく、テレビに出ている9nineの姿を自然に受け入れることができる。

最後の方は怪しげな議論になってしまったが、とにかく9nineは「テレビで見ていたいアイドル」であるというのが、『こんなのアイドルじゃナイン!?』の素直な感想である*4
ちなみに9nineは「パフォーマンスガールズユニット」であり、「アイドル」を名乗っているわけではない。「アイドル」の覇権をめぐって差異化・逸脱化競争が過激化する中で、とりたてて何かが目立つわけではないしそもそも「アイドル」を自称しているわけではないのに、どこか大物感があり、それでいて決してお高くとまっているわけでもなく、アイドル性を否定しているわけでもない、そんな自然体なアイドル像を軽やかに提示してみせるのが9nineの魅力である。
テレビで売れることがアイドルにとっての成功であるとは必ずしも思わない。逆にテレビに出れないからといって、そのアイドルの価値が劣るとも思えない。しかし様々なメディアの中で、テレビメディアを乗りこなしアイドルとしての魅力を伝えることができる9nineの姿は、これから先もテレビで見ていたいと思う。
*5

*1:しかし『GO!GO!9nine』のようにアイドル番組としてありがちな企画物や裏舞台ドキュメントをメインに番組を作っても9nineであればテレビに耐える画が作れると個人的に思う

*2:昨年末にようやくメンバー全員の無料ブログが出揃った

*3:このような意味で9nineと対照的なのが東京女子流である。女子流はエイベックスという巨大資本を背景にしているが、テレビメディアに進出することに意図的に慎重であるように思える。そのかわりにファンクラブ無料、定期公演やイベントの数も多く、なによりustの使い方が非常に上手いアイドルグループである。テレビメディアを得意にしつつも距離を感じさせない9nineと、ust等の身近なメディアを使いつつも圧倒的な上品さ・際立つアイドル性を保ち続ける女子流の対比は、メディアと「アイドルリアリティ」の関係を考える上で参考になるかもしれない

*4:誤解を生む言い方かもしれないが、9nineには「地上アイドルのオーラ」を感じるのだ

*5:ヒロロ可愛い