セイント譜久村聖

譜久村聖モーニング娘。の一員となってから半年が過ぎた。我々の(僕の)過剰なまでの心配をよそに、9期メンバーの中に溶けこみ、そしてモーニング娘。として立派に活躍している。

過剰な心配の例:モーニング娘。9期メンバー発表/譜久村聖を<消費>しない覚悟
http://d.hatena.ne.jp/nhokuto/20110102/1293990782


http://www.ustream.tv/channel/ustreamusume
モーニング娘。の初の USTREAM番組!
その名も『ユーストリー娘。』
レギュラー出演は新加入した9期メンバーの(譜久村聖、生田 衣梨奈、鞘師里保鈴木香音)に加えて、世話役として新垣里沙が登場。
毎週水曜の20時スタートのレギュラープログラムです!

7月20日に放送されたユーストリー娘。のワンシーンで、鈴木・生田がカメラの前で嬉々として変顔を披露する中、譜久村聖は「アイドルは変顔やっちゃいけないんだよ!」と言い放ち、変顔を要求する田中れいなに対し「えぇ!イヤです!!」と拒否したあと、可愛さの残る中途半端な変顔(=失敗)を披露した。

いつからアイドルは変顔をするようになったのだろうか。いや、アイドルが変顔をしてはいけない時代が果たして存在していたのだろうか。
一般的な現代社会のコミュニティにおいて若い女性の「変顔」がコミュニケーションツールと化している状況分析などはさておき、女性アイドル界隈でも「変顔」がもたらす利益は大きい。アイドルという概念は、未だに清純・処女信仰といったイメージの受け手となる、まさに虚構を体現する存在である。もはや空集合となった古典的なアイドル概念から逸脱する距離・勢いが新時代の「アイドル」を評価する基準の一つであり、アイドルに求められる変顔も、「ちょっと変だけど可愛い*1」だけでは多くの場合逆効果となり、「可愛い」を完全に逸脱するまでやり切らなければ評価されない*2。この作用を大いに活用しているアイドルを挙げるとするならば、やはりももいろクローバーということになるだろうか*3
「アイドル」なるものが恐ろしいほどに柔軟で広がりを持っているアメーバ状の概念であるために、変顔をしない、可愛らしいといった虚構の塊の空集合を中心として、あらゆる方向(ベクトル)に広がりを持っている集合体、それがアイドルの定義のイメージである。様々な要因でこのアイドル全体の母数が拡大している現在、他のアイドルと差異化を行うには、広がりのベクトルをひたすら大きくする戦法(そしてそれは炎上マーケへと繋がる)と、もう一つが空集合に寄り添うように中心に集まる戦法だ。
虚構のアイドル概念を自覚的に自分の身体の表面に被せることを得意とするアイドルを多々発見することができる。この戦法は、アイドルのバックグラウンド(ユニット・レーベル)が虚構性と親和性が高いほど有効である。現状ならば、やはりハロープロジェクトの一員であることが有利である。例えば道重さゆみ嗣永桃子真野恵里菜福田花音*4。それぞれに言えるのは、ハロープロジェクトというアイドルの正統性に依拠しながら、そこから半歩ずらしたところに自身の確固たるキャラクター性を確保している点である。また、現状においてこれらの「正統性」はもはやアイドル概念の中央に位置するものではなく、あくまで過剰なまでに活性化し日々広がり続ける周辺へのカウンターでしか無いということだ。例えば柏木由紀ハロプロイズムをAKBという枠に持ち込み再帰的に「理想のアイドル」を希求するように、周辺と中央は常に流動し反転しつづける。この正統性の覇権争いをアイドル戦国時代と呼ぶのならそれもまた一興であろう。

そしてそのような状況に登場したのが、譜久村聖であった。加護辻を例に出すまでもなく、かつては「挑戦者」だったモーニング娘。は次第に権威となり、アイドルの正統性=前世代の象徴となっていた。そのハロプロの研修生として修練を積み、ピラミッドの頂点たるモーニング娘。へと抜擢された譜久村聖。9期メンバーを暴力的に「素人の鈴木」「AKBの生田」「アクターズの鞘師」と分類するのならば、最後の1ピースとして必要不可欠なのは「ハロプロイズムの譜久村聖」であった。そんな譜久村が放った「アイドルは変顔やっちゃいけないんだよ!」という言葉。彼女以外のどんなアイドルが発したとしても即時にメタレベルに分解されるであろうこの言葉は、ハロプロ王国の中で唯一「芸風(=ネタ)」にも変質することなく、ただただベタに放送を見る者の心を突き抜けていった。そんな瞬間を見たのだった。それはまさに聖なる言葉、バイブルと呼ぶにふさわしい、ただ譜久村聖のみが発することができる言葉であったのだ。この瞬間に譜久村聖は聖母へと*5昇華した。譜久村聖がアイドル界を中心から支え、見守ってくれているからこそ、逸脱合戦に意味がある。決して足を踏み外してはいけない最後の一線を守る存在。アメーバ状のアイドル概念をふんわりと支えてくれる存在。それが譜久村聖なのだ。

*1:これは譜久村聖が見せた変顔そのものである

*2:しかしこの手の「やりきる変顔」には、大抵の場合彼女たちの元の可愛らしさが担保された上で、変顔によるギャップが価値を生むという事に注意しなければならない

*3:しおりんの変顔は本当に可愛いし有安の変顔は本当に殴りたいしれにちゃんの変顔は本当に素敵

*4:にょんさんについてはここではとても語りきれない・・・!!

*5:もう団地妻なんて呼ばせない!!