オトメ☆コーポレーション/距離感が地下くてもアイドル

入社式

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だいぶ日があいてしまった。そろそろオトメ☆コーポレーションについて書かねばならない。


アイドルとの距離感。アイドルに興味を持ちそれなりに好きなったことのあるファン・ヲタクなら誰しも必ず直面するであろう、重要な問題である。我々は皆マジヲタ/DDという二項対立では簡単に図式化できない複雑な心理の中で、思い思いのアイドルの現場に足を運んだりファン活動を行っているはずだ。

自分はとにかく「地下アイドル」と呼ばれる部類のアイドルが苦手だった。素人とほとんど区別がつかないような集団が、とにかく距離の近さ・コミュニケーションの密度の高さを売りにして「アイドル」を騙りヲタから金を搾取する。彼女らの実態をよく知らないまま、このような典型的なイメージをもって地下アイドルを敬遠しているアイドルヲタの多いのではないだろうか。自分にとって、アイドルは幻想の対象でなくてはならない存在だった。

初めて自分がアイドルのイベントに足を運んだのは、Berryz工房のコンサートだった。そして嗣永桃子というアイドルを地で行く貴重な存在に出会い、現場に足を運び、ネットで情報を仕入れ、ラジオを聞き、桃子が提供するすべてに魅了され、幻想を重ねていった。

が、それだけでは満足できないのがアイドルヲタの性なのか。姉妹ユニット(?)の℃-uteハロコン、そしてハロプロエッグの新人公演などに足を運ぶようになり、アイドル文化にのめりこんでいった。もともとハロに限らず小学生〜中学生のころからSPEEDやZONE、SweetSといったアイドルの楽曲をJpopとして好んで受容していたため、AKB48Perfumeなどメジャーなアイドルの楽曲は基本的に好きであり、チェックしていた。でも、ハロプロ以外の現場に行く気にはならなかった。他人からみたらちっぽけで意味不明な、しかし自分の中では絶対のアイドル倫理。それが当時の自分はハロ/非ハロのラインであり、アイドル幻想を求める自分にとっても都合が良かった。ハッキリ言ってハロプロエッグのステージはいわゆる地下アイドルの現場と実質的には殆ど変わらない。しかし決定的に違うのは彼女たちが「ハロプロ」という偉大すぎるブランドを背負っているからであり、彼女たちは決して(基本的に)ステージから降りてくることはない。アイドル/ヲタは同じ空間にいてもギリギリで違う世界に、アイドルは一段階上の世界にいる存在であり、そこに安心感と満足と感じていた。

そもそもアイドル幻想など、2010年現在どれほど残っているのか。アイドルの形態は多種多様になり、幻想派(笑)最後の砦であるハロプロでさえUstreamやブログといったメディアを活用し、コミュニケーション重視を打ち出すようになった。これは決して悪いことではない。そもそも大多数のヲタはコミュニケーションを望んでいるのだ。ハロプロの中でも一番の若手で冒険の出来る、現代的なスタイルが売りのスマイレージ。定期的なUsteram放送、twitter連動、全員固有のブログ、他アイドルユニットとの共演、明確な戦闘的スタイル(アイドル戦国時代!!)。そしてついにキャラアニによる個別握手会。。

このような活動形態で、どれほどの幻想を彼女たちに重ねることが出来るのだろうか。みたくないものが見えてしまう危険性はないのか。もちろん今でも不安である。ただ、不思議なことに、これらのツールで彼女たちの距離が縮まっても、そこから彼女たちに対する「マジ」な思いがさらに強まったり、キャラクター化するための「ネタ」がたくさん生まれたりと、そう悪くない効果が出ているように思われる。

もうハロプロにこだわることはないのではないのだろうか。まず一つ自分の中のアイドル倫理が変容した。そしてももいろクローバーの現場に何回か足を運び、そこで思ったことは以前のエントリで書いた。


さて前置きが長くなったが、話は先週23日土曜日のことに移る。
23日土曜日に何があったか、それは嗣永桃子写真集発売記念握手会イベントである。例えばももいろクローバーを観に行くようになっても、嗣永桃子は特別な存在だった。コンサート現場だけでなくラジオや舞台の活動を通じて桃子のことをそれなりの期間見続けた結果、アイドルというものは、現実/幻想、人間/アイドル、素/演技といった単純な二項対立ではない、常にその狭間でさまよう存在であるということがなんとなく分かってきた。
距離の遠さ=幻想という固定観念からも徐々に脱却し、苦手で苦手でたまらない握手も、桃子なら「大丈夫」だと思えるようになっていた。「大丈夫」という自分の心理は結構面白い。アイドルであり人間でもある、ただ一つの「嗣永桃子」という存在に対する信頼感。なんて勝手な思い込みなのだろうか。それでも自分の中にあるアイドル倫理(もはや倫理でも何でもないが)は絶対であり、桃子なら大丈夫、桃子なら握手しても許される(自分を許すことが出来る)というルール(心理)の中で桃子の握手会に出向いた。桃子は1000円のCD1枚で握手できるほどの軽い存在ではない。3000円の写真集を買うことと引換の単独握手会ならばギリギリセーフだろうと自分にいいきかせて。


握手会の感想を語るのは少し恥ずかしいが、端的に言うと、「桃子は桃子だ」ということを確認できた。桃子はそこにいる。握手により伝わる体温と思い。人間でもあるし、アイドルでもある桃子。幻想と現実の狭間。両義性。なんだか赦された気がした。そうして僕は福家書店銀座店を出て、新橋から横浜に向かった。そう、オトメ☆コーポレーションタイフェスティバルステージイベントに向かうために。


オトメ☆コーポレーションはせきねさんhttp://nk.ysnet.org/から教えてもらって事あるごとにプッシュされていて気になっていたアイドルだ。このアイドルの魅力を知るには『What Is Idol?』vol.2http://nk.ysnet.org/p/wii2/index.htmlという同人誌に載っているせきねさんによる愛にあふれた説明を読むのが一番なので、文フリやコミケで手に入ればぜひ読んでいただきたいのだが、簡単に説明する。
同人誌より引用

都内で映像・音楽・イベント制作を行う株式会社addingが満を持して送り出す3人組OLユニット。準備期間を経て、昨年9月に発足。長野県伊那市市長公認伊那市宣伝アーティスト。
社訓・いつもニコニコ絶やさぬ笑顔で株主さまを元気づけます
社訓・株主さまにやる気・元気・勇気・いやしを提供します!(※株主…ファンのこと)

農業部(!?)・なるみ、秘書室・ゆうこ、経理部・ひかりの3人。初めて公式サイトをみたときは25歳くらいなんだろうなと漠然と思っていたら、実は順番に21・20・19歳だというからびっくり。


なぜオトメ☆コーポレーションだったのか。どのアイドルと出会い、好きになるか。そんなことは説明できないし、偶然だというしかない。自分の中にあるアイドル倫理というやつだって、倫理とは名ばかりで、いつだってなんだって恣意的なものに過ぎない。だがそれでも理由はあると思いたいし、説明したいのがファンというものだ。ということで堂々と説明する。
まずコンセプトが素晴らしい。ファン=株主。会社(ユニット)は株主のものなのだ。AKB商法だとか、握手会が有価証券だとかそういう批判はもう飽きた。CDに株券が付いてきます。ユニットの所有権は金で買えます。従業員(アイドルメンバー)は株主のために働きます。利益は株主に還元されます。それでいいじゃない。なんてストレート!!そのくせ持ち歌は社内恋愛の歌。アイドルたちの恋の対象は我々株主(ファン)ではなく同僚である。なんて悲劇!株主は見ていることと金を払うことしか出来ないのです。なんということでしょうか。だがそれがいい
なるちゃんはとにかくよくしゃべるし株主にすごく熱心に絡んでくれるしFM長野でラジオ番組持ってるしなるちゃん抜きではユニットが成り立たない大黒柱で、ゆうちゃんはとにかく可愛くてハロ顔ど真ん中でポワポワしてて歌は道重さゆみ並であんたアイドルとして愛されるために生まれてきたんだねって感じで、ひかちゃんは歌がうまくて踊りが上手くて計算し切れない部分が超面白いだとかそういうメンバーの素晴らしさはいくらでも語れるのだが、新参の自分が偉そうに語るのもどうかと思うし、このようなメンバー絶賛ほど恣意的なものもないであろう。
とにかく最初の一歩、そのアイドルに足を踏み込むきっかけ、そして自分がそのアイドルにコミットすることを「許す」ほんの些細な根拠。実に些細でくだらないとしても、自分にとってはそれがなにより大事なことなのだ。それが今回は「株主」という今日のアイドル界への見事なカウンターと、そのくせ全然資本主義システムの中でもアイドル界の中でも勝ち馬に乗れておらず、コンセプトといい楽曲といいどこか常にズレているもどかしさだった。「もどかしさ」というキーワードはハロ全般に通じるものかもしれない。株主の様子を観察する限り、ほぼ全員どこかでハロヲタを経由あるいは現在進行形でハロヲタの形跡が感じられた。


さて横浜のタイフェスティバルステージですっかりオトメ☆コーポレーションの素晴らしさを知った僕は、その翌週にある株主総会に出席することにした。24時〜29時のオールナイトで、少数精鋭の株主しか集まらないであろうイベントに新参の僕がぬけぬけと参加することになったのである。
貸切のオールナイトイベントに集まるような株主はほぼ全員が見知り合いで、メンバー3人も株主の名前をほぼ全員把握しているため、まるでオフ会のような雰囲気だった。持ち歌を披露したあとは即興演劇のコーナーやソロコーナーがあり、ぬるい雰囲気で時が進む。ファン感謝イベントのテイストのため普段のライブ以上にインタラクティブ性が高く、衣装チェンジのタイミングでヲタが「その衣装着替えないで!!」と懇願するとそれが通ってしまったりする。
これだけ株主(ヲタ)とメンバーの関係が近いと、もはやアイドル/ファンの境界は融解し、ヲタサークルにおけるサークルクラッシャー的な存在と大差ないと思われるかもしれない。事実僕に話しかけてくれたとあるおまいつ株主さんの一人は「俺らもうスタッフみたいなもんだから笑」と語っていた。椅子・テーブル等の移動や物販の手伝いなど、形式的にはスタッフの一部のようなものかもしれない。
しかし、彼女たちはやはりアイドルなのだと感じさせるものがステージとのインタラクティブ性の中に見ることができた。ハロなどの現場にも通じるものがあるが、ヲタはアイドルのMCに対し、ヤジを入れることが多い。それをメンバーが拾ってくれれば一応双方向的なやりとりの形式が完成するため、そのヤジは次第に過激になっていく。そのうちに目的がメンバーからの応答の期待よりも、いわゆる「やらかし」のギリギリラインをヲタの仲間内で競うことに移行し、アイドルが置いてきぼりにする。好きな子をいじめる・困らせるのが目的とも取れる、実に幼い行動である。この幼さはまさにファンがアイドルと同じ土俵に立っていない証拠で、どんなことをしても嫌われない・裏切られないという絶対的な信頼は、やはり彼女たちが一つフィルターを挟んだところに居る存在だと認識しているのだろう。また、ソロコーナーで松浦亜弥の曲をカバーして歌うときはひたすら「俺はオトメ☆コーポレーションではない、あややを応援しているんだ」という態度を強調してみり、他の地下アイドルにも興味があることをわざわざ匂わせてみたりという、アイドルを「干す」ことに快感を覚えているファンが多いように感じられた。

さて、株主総会でも、その次の日(というか同じ日の夜)にあった地下アイドルライブイベントでも、物販の時間は最後に置かれ、アイドルがステージから客席に降りて対面で物販を行うというのが定番のようだ。
ここではアイドルとファン(株主)がまさに1対1の関係で対面し、会話することになる。ハロのグッズや写真にはヲタTを含め一切投資したことのない(買わないと固く決めていた)自分だったが、株主というからにはCDやタオルなどを買い文字通りの「投資」をするという、一種のロールプレイのような感覚で物販に望んだ。そこではほとんど緊張すること無く、素直に彼女たちのどんなところが素晴らしくて、可愛い、好きだという言葉がすらすらと自分の口から出てきたことにとても驚いた。これだけ距離が近いとこういう事は言ったもの勝ちであるが、戦略とかそういうことをあまり考えずに素直に話せた。もちろんこれは先ほどのヲタの「幼さ」に通じる、自分の中にあるアイドルに対する「甘え」のおかげである。等身大のようでいて、目の前にしても彼女たちはアイドルなんだ、と感じられたのは大きな驚きであり、収穫だった。


1対他と1対1の間で揺れる関係性におけるインタラクティブ性。一言でまとめると、アイドルとのコミュニケーションの特徴はこのようにいえるだろうか。それはハロのメジャーなアイドルでも、オトメ☆コーポレーションのようないわゆる地下アイドルでも基本的には変わらず、後者は良くも悪くもそれが過激だということだ。危ういバランスの中で、ギリギリ成立しているアイドル。それをどう評価していいのかは分からないが、少なくとも簡単に否定できるものではないということは十分すぎるほどにオトメ☆コーポレーションは魅力的だった。


さて、ハロ→ももクロ→オトメ☆ときて、だいぶ地下に潜ってきた。しかし、この下にはまだまだ素人と変わらない多種多様のアイドルが広大に存在しているはずだ。どこまでが「アイドル」と呼べるのだろうか。それが定義できないとしても、自分は彼女たちの存在をどこまで肯定することが出来るのだろうか。そしてどこまで自分を肯定することができるのだろうか。なんども繰り返すように、他人から見たらなし崩し的にDD化しているだけかもしれない。しかし、自分の中ではそれなりに根拠のある行動であり、倫理(ルール)に従ったものである。その倫理がどう変わったか、どう感じたのかを書き残しておくのは悪くないだろう。今だってまだたとえばゆうかりんだとかカリン様と握手するのはかなりキツい。でも、オトメ☆コーポレーションにはそれが許されるように思えた。


ダラダラとした締まりの無い文章で、久々に日記風になってしまったが、このあたりで終わることにする。



アイドルはファンに対して平等である。


会社もまた、株主に対して平等であるのだ。株主平等の原則。株主万歳!オトメ☆コーポレーション万歳!