私の優しくない先輩/2回目の鑑賞で気づいたこと

MajiでKoiする5秒前

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私の優しくない先輩』を再び新宿バルト9で鑑賞してきた。
初鑑賞時の感想:http://d.hatena.ne.jp/nhokuto/20100725/1280086056


前回のエントリでは散々川島海荷をミスキャストだとして批判したが、2回目の鑑賞ではまた違った感想を持った。
まず、全編にわたってモノローグ的に挿入される彼女の独特な声に慣れていたこともあり、前半部の「夢見る少女」編が終わり、現実的な耶麻子の一面が描かれる後半は、彼女の演技力の高さを改めて感じた。ミスマッチだと思ったのは端的に声の印象が大きかっただけで、表情の作りや台詞の抑揚・間など、非常に良かった。川島海荷に謝りたい。


具体的に良かったシーンをいくつかピックアップしてみる。


・耶麻子と喜久子
地味・眼鏡・お下げ髪・巨乳・お嬢様と、これでもかというほどアニメキャラクター的な記号化が散りばめられている喜久子は、耶麻子の人間性を引き立たせる。「親友じゃん」「喜久蔵!!」などに代表される薄っぺらい会話と表情、その裏で挿入されるシビアな耶麻子のモノローグ。

・耶麻子と父
耶麻子の仮面は、喜久子だけではなく実の父に対しても剥がれることはない。非常に切ないシーン。「へー」「そうなんだ」「すごーい」。めちゃくちゃリアリティがある3語・・・。こんな島にショッピングモールはねえんだよ!という批判はここでは無意味である。「心の宝箱は、そんな簡単に人に見せちゃいけないんだよ」

・無理無理!
不破に南先輩へ告白するようにけしかけられ、無理無理無理無理無理無理・・・と連呼する耶麻子。少々やりすぎなのだが、階段の影から顔をのぞかせ「ムリムリムリムリむーりむりむり」と一段階調子を上げた言い方が最高。

・耶麻子と不破、二つの長回し
1つ目はでんぐり返しを成功させるシーン。耶麻子を体育館に連れ込む→耶麻子を「ずるいんだよ」と罵る不破→「ほれ!ほれ!」とタオルで耶麻子の頬を叩く→「クサイ!ウザイ!!あっちいけ!!!」→でんぐり返し成功
ここまで全て1カット。緊張感がすごい。
2つ目は、南先輩への告白で現実に失望した耶麻子に不破が声をかけるシーン。花火まで全て1カット。
背後に流れる祭りの音楽、カメラの位置によってたびたび画面に映り込む、草に隠れ山の斜面の下に映る祭りの火のゆらめき。祭りの世界が遠くに感じられ、2人の世界は浮かび上がる。「どこまでが現実かわかんないよ」「お前がそうと思うとこまでだ」というこの映画の核心が語られ、観客(僕)は息を呑む。そして花火によって息をやっと吐くことが出来た。

2010年宇宙の旅
冒頭部からたびたび出現する、耶麻子の仮想宇宙空間。辛い現実を見たくないとき、耶麻子が逃げ込んでいた、ハリボテの世界。
しかしラストでは、死んでしまった耶麻子は、本当の宇宙空間にたどり着く。不破と共に。そして二人で心の宝箱を開く・・・。逆に言えば、死なないと到達できない空間、開けない宝箱なのだ。なんて悲しい。
現実世界では、耶麻子は父・母に素直な思いを伝えられなかった。喜久子に謝ることが出来なかった。南先輩は理想通りの人ではなかった。
現実は辛いものだ。不破という現実の象徴(=アツイ・クサイ・ウザイ)に「大好き」だと伝えられるのも、死後の世界・夢の世界だった。
私、西表耶麻子は、南先輩が大大大大大好き。すべての物語はそこから始まった。パパのことが大好きです。ママのことが大好きです。喜久子のことが大好きです。そして先輩のことが大大大嫌いで。同時に大大大大大大好きなのです。
夢の世界で始まり夢の世界ので終わる、現実をほんのちょっとだけ肯定する物語。悲しいハッピーエンド。

MajiでKoiする5秒前
最後にみんなで踊れば幸せ。なぜアイドル(やキャラクター)は踊るのか。それはきっと、踊ればそこにあるのは現実を飛び越えた夢の世界だからなのだろう。

・あずまんを探せ!!(レベル☆☆☆☆☆)
おそらく、耶麻子が南先輩に告白する最中に挿入される祭りのシーンで、炎の周りで踊る男の中にいて、一瞬画面手前で姿がアップになる人物じゃないかな!!??自信はない!