「10年代思想の行方」東浩紀×宇野常寛


思想地図vol4発売記念トークイベントに行ってきた。


例によってtwitterのハッシュ#shusou1226を参照。


いろいろ書きたいことはあるがとてつもなく頭痛が酷くなってきたので今日はそこそこにしておいて、忘れないうちに明日しっかり更新しようかしら。


イベント終盤において、やはり話題が「セカイ系」に移ったが、宇野氏が、セカイ系は皆小さな物語でしかなく、それぞれの小さな物語が網状にバトル・ロワイアル状態に陥り、その島宇宙同士のコミュニケーションの中でハイブリッド・創発されたものにロマンを感じる・わくわくする、と『ゼロ年代の想像力』でも述べていた主張を投げかける。一方東氏は、宇野氏のセカイ系批判は主語をバトルロワイヤルに置き換えればそのまま成り立ってしまうような弱いロジックでしかないと批判し、決断主義におけるプレイヤーを説得する力を持つのはセカイ系でしかないと主張する。


大きな物語の終焉(ビッグブラザーの解体)がもはや前提となったゼロ年代を経て、東氏は批評・物語におけるロマンティシズムの復権を目指したいと言う。ここでロマンティシズム=セカイ系2.0とでも言うべきか、「セカイ系」が拡張され一人歩きした感があり、宇野氏の決断主義vs東氏のセカイ系の対立において定義があやふやになりトークイベントはもはやなにをいってるのかわからねーぜ状態のまま終了したのであったが、ここで定義がどうこう指摘するのもナンセンスであり、東・宇野両氏はもちろん確信犯的にトークイベントを盛り上げるために振る舞い我々観客もそれは織り込み済みだったのでまぁ定義とかは放置で良しとする。


結局のところ、宇野氏は「サブカル批評が好き」ということに尽きるのかな、という感想を抱いた。
個人の断片的な実存を前提として了承し、群集・島宇宙同士のバトルロワイヤル(コミュニケーション)に批評的な面白さを見出し、そこから生まれる創発にロマンがあるという宇野氏と、あくまで一人一人の個人に注目し、批評や物語という手段で個人の内面に働きかけ、大きな物語なき今こそ『超大きな物語』のロマン(セカイ系)を追い求める東氏。


セカイ系」のイメージを拡張することで民主主義2.0というモデルすら提示してしまう東氏を支持したいという思いに駆られた。今回のトークはあくまで思想地図のイベントと言うこともあり、政治の話には(意図的に)触れていなかったと思うのだが、東氏の語るロマンティシズム・セカイ系の言説からは政治的な要素をつい読み込んでしまった。批評と政治は別物なのだろうか。東氏はセカイ系はファンタジーだからこそ良いのだと語るが、そこから政治の話にフィードバックすることはできないのだろうか。


宇野氏の決断主義は『ゼロ年代の想像力』にもあるように、小泉的新自由主義の下で社会流動性が大きく高まったことの影響化にあるという指摘には十分納得できるのだけれど、だから何なの?という先の話・政治の話に繋がってこない。宇野氏はそれがサブカルだろ?と割り切っている感があるのだが、僕にはどうも素直に納得できない部分もあるのだが一方僕も普段アイドルアイドル言ってる身としては声を大にして批判できる立場でもなくうーん。
「僕が好きなサブカル批評してるうちに・濱野君が自分の好きなwebを研究してるうちに、なんだか面白い構図を見つけたので発表してみた。その構図が藤村君(藤村龍至氏)の建築界で頑張っているように、他の何かに繋がって行けたらいい」というようなことを語る宇野氏はもっともであり、それを「先が見えない」と言う理由で批判してしまったら、アイドルを語ることが何かにつながると良いな、と脳天気で無責任な自分はなんなんだという話である。


決断主義の行き着く先はテロである(デスノートコードギアス・9.11etc)」→「だからそこをセカイ系の想像力でカバーするのである」→「したがってセカイ系決断主義の上位概念である」というtwitter上で示された怪しげなロジックを見て疑問に思ったことがあるのだが、宇野氏の言う決断主義において、まさか個人は一つの島宇宙に属すと考えられているのだろうか。個人には様々な側面があり、複数のコミュニティ(島宇宙)に同時に所属するものだと思うのだが、この認識で正しいのだろうか。


デスノートの月は(今「ライト」で変換して出てこなくて一瞬焦った当たり前)「世界を変える」という強力な意思の下に行動するが、所詮キャラクターであり現実の人間はそう単純なものではない。例えばわかり易い例でいうとオタクvsスイーツ(笑)の対立図式がよく示されるが、オタクの中にも凄まじい種類のオタクが存在し、オタク同士で熾烈なバトルロワイヤルが発生している。さらにいえばアニメオタクという趣味が一致していたとしても、一方は野球狂でありもう一方はサッカー狂である、なんて場合も多々あるだろう。そのあたりの感覚が宇野氏の言う島宇宙同士のバトルロワイヤルという図式にどうもぴったりとはまらないように思える。


うーん問題意識がうまく文章にできなくて悔しい。


あとバトルロワイヤルと聞くと、2ch狼板における推しメンの違いによる罵り合いや、AKB対ハロプロといった図式をつい思い出すのだが、あれほど不毛な争いも無いと思う。なれ合い・お約束なのかと思いきや本気でたたき合っている方々も多いので、彼らのメンタリティには本当に驚かされる。


宇野氏の言うバトルロワイヤルには関係ないように見えて実は応用出来る考察もできるのではないかと書くくらいで今日は終わっておこう。