しもんchuまりちゃん・ゆいにゃん卒業スペシャル公演 3月9日@コンドー楽器 /しもんchuとの2年間の日々

2014年3月9日に下妻のご当地アイドルしもんchuからまりちゃん(山田麻里子)とゆいにゃん(大里唯)が卒業しました。
ふたりともしもんchuの初期メンバーであり、2年半に渡ってしもんchuで活動を続けてきた、しもんchuの核というべき存在です。
まりちゃんは次のステージに進むため、ゆいにゃんは歯科衛生士の国家試験合格のため学業を優先ということで、涙と笑顔の卒業式でした。

まりちゃん

まりちゃんはしもんchuで一番のアイドルでした。いつも笑顔でキラキラしていて、ブログは基本毎日更新、イベントもほとんど休まなかったし、レッスンもほとんど皆勤賞だったそうです。しもんchuに固定された「センター」は存在しませず、「型」のなさがしもんchuらしさですが、じゃああえて誰がセンターなの言われればそれはまりちゃん以外に考えられないでしょう。歌も踊りも上手ということもあるけれど、他のメンバーが(使い古された言葉ですが)「アイドルらしくなさ」のギャップに魅力を見せていく中で、まりちゃんだけはどこまでもまっすぐにそしてマイペースに、アイドルでした。

デビューシングル(にして現在唯一のシングルですが)の2曲目として収録されている「pair pear nothing」では、中盤のセリフパートを任され、中央のまりちゃんにむかって他のメンバーが振付としてケチャを捧げ、もちろんファンもそれに追随するなか、
「冷たく冷えた、下妻の、あまい、あまーい梨を、二人でよく、食べましたね」
と甘く語りだすまりちゃん。
「私が梨を剥いてあげて、切ってあげて、楊枝を刺して、アーンして食べさせてあげた時、楊枝が口に刺さっちゃったっけ♪」
と、最後は崩すのがお約束ですが、このパートを任せられるのはいつも恥ずかしがらずにやりきれるまりちゃんしかいません。

アイドルキャラ付け闘争の中で、「アイドルらしくなさ」がスタンダードになっていくなか、「アイドルらしい」と呼ばれるアイドルは、自身の中に一定のアイドル像を強く持ち、それを自ら実践していこうという意志や自己プロデュース能力を感じさせることが多いです。しかりまりちゃんの「アイドルらしさは」は(こういったものをすべて「アイドルらしさ」という言葉で括ることの是非はさておき)、またそれとは少し違った形で僕たちの前に現れていたように思います。

まりちゃんの「アイドルらしさ」がよく現れていたのは、アイドルマスターのカバー曲でした。以前からルックスがアイドルマスターの(一応)メインヒロインである天海春香と似ているなと思っていたのですが、しもんchuが「READY!!」のカバーを持ち歌にしてからというものの、そのセンターで踊り歌うまりちゃんがにあまりにも天海春香と重なって見えて衝撃的でした。
まりちゃんの「アイドルらしさ」ならぬ「アイドルマスターらしさ」は、もちろんルックスだけでなく、特にダンスにおいてそれは現れていました。あまりダンスの技術的なことはよくわかりませんが、普段からステップを踏むときに膝の関節のあたりの動きがまりちゃんはとても特徴的で、アイドルマスターのキャラクターが3Dのモデリングで動き踊るときのまだどことなく生じる違和感が、なぜか現実の人間が踊っているところに現れてくる面白さがありました。アイドルを「模した」アイドルマスターを更に「模して」いるように見えてしまうねじれや、アニメやゲームのエフェクトがかかっているのではないかと思ってしまうようなまりちゃんのキラキラ感。そんなことを考えてしまう、まりちゃんの歌うアイドルマスター曲が大好きでした。

「アイドルらしさ」という言葉によって想起される80年代ソロアイドル的なイメージは、さきほどのアイドルマスター的な「ずれ」と同じように、まりちゃんの上にまた少しひねった形で現れていたように思います。

ステージでも物販でもいつでもドタバタなしもんchuの中で、唯一のしっかりものであるまりちゃん。しかし、まりちゃんはしもんchuをまとめようとは決してしませんでした。もちろんこれはいい意味で、です。卒業の手紙でゆいにゃんがしおりんにむけて、喧嘩ばかりしていた、意見が合わないことも多く気まずい時期も長かったと告白したように、しもんchuの掛け合いの中ではしおりんとゆいにゃんの関係性が非常にスリリングで、さらにそこに2期生のさおりーな・みっちゅの二人がそれぞれ違った形で暴走していた時期はそれはもうてんやわんやでした。結局きんぐが天性の「結局美味しくまとまっている力」を発揮してなんとかなっていたものの、そんなときでもいつもまりちゃんは常に我関せずといった雰囲気でケラケラと笑っている、あるいはきんぐに対して勝手にツボに入って一人でケラケラと笑っているばかりでした。
グループアイドルの中で、しもんchuという力学の中で、まりちゃんの位置はなんとも形容しがたいものでした。ハイスクール・ララバイのカバーでは両脇にきんぐとゆいにゃんを従え二人が殴りあっている横で真ん中にニコニコして立っている「フツオ」はもちろんまりちゃんです。本当かどうかはわかりませんが、こんな時代にもかかわらずLINEもやっていないからメンバーのLINEグループにも入っていない、でも大丈夫と言って笑っていたこともありました。必要以上にベタベタしない、安易な例えですが、クラスの高嶺の花のような存在です。しもんchuのなかでどこかソロアイドルのような雰囲気。卒業式では、仲良しグループじゃない、そんなメンバーだからこそ信頼できたと語っていたのも、実にまりちゃんらしさを感じさせる言葉でした。もちろん、逆にメンバーからまりちゃんの信頼は疑いの余地はないものだったでしょう。

いつでもニコニコしているまりちゃんですが、物販ではふとした瞬間にふっと遠くへ行ってしまうことがよくありました。少し離れた位置から、今にもここではないどこかへ旅立ってしまいそうな、儚い表情のまりちゃんを見るのが大好きでした。



そんなどこかミステリアスなまりちゃんは、1月の1ヶ月の休養期間を経て、4月からは「次のステージに進むため」に卒業を決めたといいます。まりちゃんの悩みは決心はぼくたちにはわかりませんが、あの儚い表情で見つめていた、ここではないどこかへ向かってまりちゃんは進んでいくのでしょうか。
その笑顔で周りの人々をいつも笑顔にしてくれる。そういう意味での「アイドルらしさ」に関しては、これからも間違いなくまりちゃんはアイドルで在り続けるのでしょう。

ゆいにゃん

まりちゃんを仮にしもんchuのセンターとするならば、ゆいにゃんはしもんchuの精神的支柱とでも言うべき存在です。初代リーダーのひぃちゃん(桜井仁美)が2012年8月に卒業してから、しもんchuはずっとリーダー不在でした。全員いつもてんでバラバラで、ゆいにゃん自身もメンバーと喧嘩ばかりしていたそうです。
ゆいにゃんはしもんchuの末っ子で、最初に出会った頃は周りのメンバーが社会人の中、一人だけ高校3年生でした。しかし、年上のメンバーが引っ張っていくのではなく、しもんchuは末っ子のゆいにゃんが噛み付くことでドタバタしながらも前に進んでいきました。
「仲良しごっこでは意味が無い。しもんchuとしてやっていくために、何でも意見して喧嘩した。」卒業式でゆいにゃんはそう語りました。
ゆいにゃんはいつでも損な役回りばかり背負ってきたように思います。年下メンバーだけれども、前述のように年上に甘えることなく噛み付き役でグループを引っ張っていき、後輩が入ったらそちらの面倒まで見なくてはいけない羽目になっている。どんなにがんばってもまとまりきらないMCを回すのもゆいにゃんの役割だし、MCで頑張っても結局オチは意図せずきんぐが持って行ってしまうし、大舞台では度胸のあるしおりんが強い。「田舎娘」や「ヤンキー」といったわかりやすい記号をヲタクが当てはめてからかうのを真に受けて、MCでは必要以上に訛ってヤンキーぶっていたように思います。特にスカパーの番組である「ご当地アイドルお取り寄せ図鑑」にでたあとは、司会の野呂佳代の影響を受けているとしか思えないような不思議な素振りを見せていました。明らかにいろいろ考えてやっているのになんだかうまくいかない、そんなところが可愛いです。周りが見える子だし、野外イベントでメンバーが物販時間に遊びだしてからも、小さい子がサインを貰いに来ているのに気づいて対応するのはゆいにゃんです。
ヲタクは基本的にアイドルとのコミュニケーションが苦手なので(断言)、アイドルを無理に「イジろう」とします。そういうときにだいたい餌食になるのが、わかりやすくゆいにゃんなのです。そしてゆいにゃんも頭がいいのでそれをわかっていて「お約束」として受け取ろうとしてくれます。きっといろいろな心ない言葉を投げかけられてきたことでしょう。自分も反省していますし、もっと素直に可愛がってあげればよかったと思っています。そういうことを思った頃には、ゆいにゃんは歯科衛生士の専門学校の課程が忙しく、しもんchuのイベントに次第に来れなくなってしまい、ここ数ヶ月はずっと卒業のタイミングを伺っているような状態になってしまいました。

ゆいにゃんはとても器用です。とてもまじめに勉強しているとも聞いています。ダンスも歌も器用にこなしてしまうし、ゆいにゃんとまりちゃんにとって最後の曲となった「Go to the YaTaBe Arena」ではしもんchuのmotsuとでも言うべきラップパートを任されています。
しもんchuには未発表曲が数多くありますが、せめてこの歌だけは音源化して欲しい、ゆいにゃんがしもんchuに残した爪痕を形にしてほしいと切に願っています。

自分が勝手に想像するだけでも辛いことがたくさんあったのに違いないのに、一見お気楽にやっているように見えるのは、その裏にもっと見えない努力や根性がないとできないことです。ゆいにゃんは歯科衛生士への道を「夢である」と何度も言ってくれて、前向き卒業であることを強調してくれます。たとえ実際はどうであれ、ゆいにゃんがそれを「夢である」と言ってくれるのならば、我々はそれに向かって「応援する」ことができるのです。頑張っている人にもっと頑張れというべきなのか、頑張らなくてもいいよと言ってあげるべきなのか、私にはわかりません。ただのヲタクに何ができるのかを考え出したら終わりですが、もっとゆいにゃんを甘やかしてあげたかった。最後までゆいにゃんをダシにしてまりちゃんと話していた自分にはあまりに無責任な言葉ですが、まだ若いゆいにゃんの素敵な未来をただ願うだけです。

しもんchuとの出会い

自分がはじめてしもんchuを見たのは、2012年の3月でした。4月から愛媛に転勤する予定だった友人と最後に旅行をしようという名目で、手頃に行けそうな関東周辺の中から彼が好きだという「がきんちょ」のロケ地巡りという理由を適当につけて茨城県常陸大子を目指すことにして、せっかくなのでご当地アイドルを見に行こう!という話になり(転勤する友人も、もう一人の友人も皆アイドルヲタ仲間だったので。転勤先はJewelの北海道がいいかひめキュンの愛媛がいいかなどというくだらない話で盛り上がっていました)、前日の夜に3人でまた別の友人の家に転がり込んで行き当たりばったりの作戦会議をしていたのをよく覚えています。
いまでこそ茨城県には下妻・水戸・鹿嶋・土浦と4つのご当地アイドルグループが存在しそこそこのペースで活動していますが、当時はまだ「茨城のご当地アイドル」というと、「TIF2011に出演していて、メンバーが若いことでちょっと話題の『麦わら☆娘』がいるらしい」という程度の認識で、その麦わら☆娘も2012年3月の時点では活動している形跡がなく、こまったな、でもまぁたまにはアイドル抜きの旅行でもいいよね、と話していたところで、どうやらネットで調べると『しもんchu』という謎のグループが居るらしいとわかり、なんと都合よく旅行の日に定期公演をやっているということがわかりました。

当時の僕たちというと、2010年末からメジャーアイドルから地下アイドルに流れてきたものの、地下で1年過ごしてきていよいよ地下ヲタとしても疲弊してきたというありがちなタイミングでした。いまさら制約の多いメジャー現場には戻れないし、かといってこれ以上地下で「戦い」続けるのも金銭・体力・精神的に持たないのは明らかで、もはや何を楽しみにアイドルを見ているのかよくわからなくなっているような状態だったと思います。そんな中で、メインはいよいよ東京から離れる友人との観光旅行という名目で、そこにあくまで「オマケ」として、みたことも聞いたこともない地方のアイドルが見れるとなればこれほど都合の良いことはないと盛り上がりました。どんなにルックス・歌・踊り・トークといった要素が残念でも、一期一会ですし、むしろひどければひどいほど話の種になるからそちらのほうが都合がいい、なんとも失礼ですが、そんな風に考えながらバタバタと出発しました。

そして出会ったのがしもんchuでした。メンバーの顔も歌も「あえて」チェックせず、出たとこ勝負ではじめて聞く曲でどうやら「きんぐ」というメンバーがいるとわかるときんぐコールをしてみたり、初めて聞く曲でも、アイドル現場の経験があればどのタイミングでどういうコールが入るのかはわかるというのを実践してみる楽しみだったり、初めて見る現場、しかも茨城という土地の現場が東京と比べてどうなっているのかどう「外れて」いるのか観察して楽しんでみたりと、文字にすると自分でもひどいなぁと思いつつもその「ひどさ」が楽しいのは事実であり、そこに乗って、その日だけ楽しめればいいやというまさに卒業旅行気分で参加していました。
初めて見るしもんchuは想像通り踊りも歌もMCもめちゃくちゃだったのですが、今でも感じるなんといえない魅力がありました。特にMCは何をやってるのかまったくわからないけどとにかく本人たちが楽しそうに自己完結してるからまあいいかという感じで、物販の時間になった時も一応その地方のオススメのお店などを聞いてみたものの、「元気寿司!」「すき家!」「ココス!」という有り様。とにかく何もかもが面白く、その日は昼公演だけ見て当初の目的地へむけて出発したのですがその後はずっとしもんchuの曲を聞いて歌ってしもんchuのモノマネをして東京の元気寿司へ行って帰りました。

僕たちはその日だけでしもんchuを「消費」し尽くす気でいたのですが、しもんchuの熱量は身体の中に残り続けていました。夏にサンビーチで行われたイベントに再び皆ででかけてからは、もうしもんchuの虜でした。ゆいにゃんのところで書いたように、しもんchuには隙がありすぎるので、ついそれを安易にいじりたくなってしまいます。それは今でもずっと変わらないのですが、仲間内での「祭り」が一段落ついて一人で毎週下妻に通うようになってからは、しもんchuが愛おしくてたまらなくなり、どんなに客が少なくてもたのしそうにして(くれて)いる彼女たちをずっと見ていたいと思うようになりました。自分は神奈川県に住んでいるので、家から電車で常総線という味のある路線まで乗り継いで2時間半程度、往復きっぷを買うと3000円弱でつく下妻は非常に手頃な「ここではない、でも地続きのどこか」でした。

アイドルとは、ファンとは

しもんchuでは特に野外イベントだと物販であまりファンが居ないので、だらだらとメンバーと話している時間が非常いです。ここ一年は定期公演には多くの人が集まるようになり、相対的にそのような時間は減りましたが、相変わらず取り留めもない話をしたり、メンバー同士で常に出来の悪いコントのような会話をして自己満足して笑っているのを眺めてみたりと自由に楽しんでいました。
そんななかで、半年ほど前から、まりちゃんが笑いながらも笑顔の裏にある苦労やつらさをとりとめもなく話してくれることが多くなりました。メンバーの悩みをヲタクがLINEで繋がって相談に乗るというのも(おかしな話ですが)よくある話ですが、コソコソ話をするような雰囲気でそのような悩みをあくまで物販時間の最中という「安全」な形で聞いて話すというのはなかなか刺激的で、それは笑顔で冗談のように話してくれるまりちゃんだからこその楽しさでもありました。そこを乗り越えちゃいけないなという「お約束」の距離感をまりちゃんはわかっているんだなという安心感があるからこそ、まりちゃんに甘えて楽しんでいた部分がありました。もちろんいまでもまりちゃんの悩みがどこまで本気で深刻なものだったのか、その悩みが深い部分でどのようなものだったかまでは聞かなかった/聞けなかったのでわかりませんが、昨年末からブログの更新が途絶え、2014年1月から1ヶ月の活動休止に入ってしまった時は非常に動揺しました。毎回のイベントでフルメンバーが揃うことは少なくなっていったとはいえ、まりちゃんはほぼ全参加していたので、まりちゃんのいないしもんchuが想像つきませんでした。
まりちゃんが色々な悩みを抱えていることがわかっていたとしても、ただのしもんchuファンである自分には何もすることが出来ません。出来ないというのは、もちろん相手がそれを望んでいるとは思えない、いわゆるファンが勝手に「○○ちゃんを救う!」と息巻いているような笑えない状態になりたくないというのもありますが、損得勘定として、そこに踏み込もうとしたらこれまでの平穏な日々の中にあるしもんchuという存在が壊れてしまうという恐れがありました。
この思いはなにもそのようにメンバーと深く関わりあいを持つという側面に限ったことではなく、しもんchuに踏み込むこと自体の怖さでもありました。というのも、これまでしもんchuを見てきて、「頑張って応援する」「頑張って盛り上げる」ように、必要以上のことをしようとするといつも後悔してきたという経験があったからです。ファンと一緒に作り上げることがもてはやされる時代ですが、しもんchuはメンバーだけで完結してしまう、ファンがいつも置いてきぼりにされてしまう面白さこそが楽しいと感じていました。いつしかしもんchuでは傍観者になりたい、ただそこにいる人になりたいと思うようになりました。そういう意味では、ご当地アイドルに県外からやってくる人という立場はなかなか得です。
しかし、傍観者になりたいといいながら、現実にはしもんchuにわざわざ2時間半かけて足を運ぶくらいには大好きなのも事実です。メンバーと、一般的なアイドルでは聞けない・話せないような話をしている、「友達ごっこ」をしているのはそれはそれは楽しかったです。自分はしもんchuにずっと甘えていました。
ゆいにゃんに関しても同じです。ずっと前から、いずれ専門学校が忙しくなるからしもんchuには来れなくなると聞いていたものの、そのタイミングがいつになるのかはわからず、わかったところで結局何も出来ませんでした。

まりちゃんの休養が決まってからは、これはいよいよかもしれないと思い、下妻に通わなくなる日々について考えてみました。社会人になりお金も少し余裕が出てきたこともあり、ハロープロジェクトの地方公演に遠征してみたり、他のご当地アイドルの現場に行ってみたりしました。それはそれで楽しかったのですが、しもんchuの代わりにはならないという当たり前のことを思うだけでした。

卒業式

正式にまりちゃんとゆいにゃんの卒業が決まってからは、卒業イベントのことをずっと考えていました。これだけアイドルが存在する時代で、前向きに、ちゃんとした卒業イベントで送り出すことができるというのは実は恵まれたことです。様々なアイドルの卒業あるいは脱退を見てきて、あるいは合同ライブでたまたま遭遇してきた日々を思い起こし、自分はまりちゃんとゆいにゃんとの最後の日に何ができるのだろうか、何をするべきなのだろうか、しないべきなのだろうか、ずっと考えていました。
何度考えても、何もしないのが一番いいに決まっていると結論は出ていました。プレゼントも決められず、買いにいけず、手紙を書くにしても何を書いたらいいのかわからず、結局直前の一週間は、仕事が忙しかったこともあるのですが必要以上に仕事を抱え込んで、共生的にになにも準備ができないように仕立てあげて自分自身に言い訳を作ってしまいました。

いままで散々「お約束を外れたお約束」を楽しんでいたにも関わらず、最後もしっかりと卒業という儀式のお約束に乗る心の準備が出来ないままに当日を迎えました。1公演目はあっという間でよく覚えていません。いままでしもんchuでは見たことのないような長蛇の列の後ろの方に並んだ物販では心が浮ついてしまい、出逢った頃のように安易に「いじる」ことで、非常に雑な態度で接してしまいました。お昼をいつものように人気のないお気に入りのお店で過ごしたあと、最後の公演がはじまりました。
これで最後かと思うと、序盤からびっくりするくらいずっと泣いてしまいました。正直自分でもこんなに泣いてたら逆に醒めるだろ・・・と思うくらい涙が止まりませんでした。
「Go to the YaTaBe Arena」では、しもんchuラジコン部のテーマ曲としてYouToube動画でBGMが流れているのを聞くときはこれでもかと言うくらいにベタッとしたユーロビートにゲラゲラ笑っていたのですが、まだ2回しか歌ったことがないはずのゆいにゃんのラップとまりちゃんの大サビが入ると全く別次元の曲に生まれ変わっていて、最後に車が風を切るサーキット音と共に5人がひらりと身を切った瞬間、走馬灯のようにこれまでの思い出がステージを通り過ぎて行ったように思いました。

最後の最後の物販時間ではゆいにゃんに「泣くなよ!」と笑われ、まりちゃんにはこれからも頑張ってねと伝えました。別れは名残惜しいですが、もうこれ以上その場にとどまっても何があるわけでもありません。よく一緒にしもんchuを見に行っていた友人とおなじみの元気寿司を食べて、ビアスパークしもつまで温泉に入り、ゆいにゃんまりちゃんが歌った「3月9日」を聞きながら車で帰りました。



そう、結局特別なことは最後までなにできなかった、何もしなかったのですが、一つだけしたことがあります。それは、今日月曜日有給をとっておいたことです。ゆいにゃん以外の社会人メンバーは働いている(きんぐはいつものように公演終了後仕事に行っていました)にもかかわず、しれっと有給をとって、これまでの日々を振り返ってみようと思いました。
まりちゃんとゆいにゃんのいたしもんchuとの日々を漫然とした思い出として心の中にだけ残しておくのも、それはそれでいいかもしれません。別に有給を取らなくたって、ショックすぎて働けないなんてことはありませんし、一生他のアイドルを見に行かない!なんてこともないでしょう。ただ、最後の最後に、しもんchuに対して何か特別なことをしようとするのではなく、自分自身のなにか区切りとして何ができるかと考えた時、こうやって思いを残しておくことしかないと思いました。これまでしもんchuについてはまとまった文章を書いたことが殆どなく、正面から向き合おうとするといつもおかしなことになってしまうのですが、最後に勇気を出して書いてみることにしました。

いつも以上にとりとめもなく、文体も崩れた私的な文章ですが、そろそろ終わりにしたいと思います。


まりちゃん、ゆいにゃん、しもんchuおめでとう。そして今まで甘えさせてくれてありがとう。本当に感謝しています。とてもとても楽しい日々でした。