しもんchuラストステージ@2015/10/18砂沼フレンドリーフェスティバル2015 / アイドルとのつながり

2015年10月18日、下妻のご当地アイドルしもんchuからみさきんぐ(池田美咲)とまいまい(内田麻衣)が卒業して、しもんchuは本日を持ってラストステージ、活動を終了しました。

みさきんぐ



しもんchu1.5期生のみさきんぐ。1.5期生、かの有名なAKB48篠田麻里子さんも背負ったその称号(?)。最初のオーディションで全員合格(!)した初期メンバーは皆だれかしら友達同士だったそうですが、1.5期生のみさきんぐはスカウトによる単独加入。スカウトの場所は原宿?いや、下妻に原宿はありません。パチ屋です。そう、しもんchuは学業や仕事を掛け持ちしながらのメンバーがほとんどでしたが、みさきんぐの裏(表?)の顔はパチ屋のバイト店員。イベント後に「この後シフトだから・・・」という話を何度聞いたことでしょうか。これだけでめちゃくちゃおもしろいです。
そう、みさきんぐはとにかくおもしろい。基本的にしもんchuは突っ込みどころ満載というか、突っ込みどころしかないご当地アイドルでしたが、その中でも特にみさきんぐという存在はその突っ込みどころの中心で、常にしもんchuの笑いの中心にいたメンバーでした。
アニヲタで、ジャニヲタ。自称コミュ障。こう文字にしてみると、近頃の若い女性でこの3要素に当てはまらない人は2割位しかいないんじゃないかと思うほどに「凡庸」な彼女ですが、その中でも3番目の「自称コミュ障」は、ちょっとコミュ障を自称する人たちはぜひみさきんぐを見て反省して欲しいなと思うほどに見事なものでした。出会ってからしばらくしてからは、この子アイドルとしてというか普通に大丈夫なのかなというレベルでコミュニケーションがずれることが多く、それが悲壮感と紙一重のところで絶妙に「おもしろ」の側にのこるバランス感にはひやひやさせられつつもゲラゲラとお腹を抱えて笑っていました。東京に数多存在するアイドルも、MCでは大体テレビの芸人のような「いじり」をメンバー間で繰り広げては彼女たちは芸人ではないので「いやーな感じ」になることが多いのですが、しもんchuは下妻という土地柄なのか、茨城弁のイントネーションのおかげなのか、その「いじり」のコミュニケーションもどこか素朴でトゲがなく、周りから見ているだけの人間にとってはとても安心できるものでした。

下妻イオンで防犯キャンペーンのティッシュ配りを行うも全く人に話しかけられないみさきんぐ 2012年12月

半年後、明らかに距離感がおかしいみさきんぐ 2012年6月 jellybeansと共演したつくばサーキット

みさきんぐはジャニヲタを公言していました。関ジャニ∞の丸山くんが大好きらしく、チケットにあたっては大騒ぎ、そもそも丸山くんに会うためにアイドルになったとかならなかったとか。極めつけはイメージカラー。みさきんぐのイメージカラーはオレンジです。一時期の自己紹介は「オレンジクソ野郎みさきんぐ」。丸山くんの関ジャニ∞でのイメージカラーは・・・そう、オレンジ! 実はメンバー増員の際にイメージカラーが一部変更になったのですが、みさきんぐはそのタイミングでオレンジに変更になりました。色は自分で希望したとのこと。理由は・・・推して知るべし。流石です。ふつう、というとどこまでがふつうなのかわかりませんが、ふつうのアイドルだったら、あまりジャニヲタであることを公言しないのではないでしょうか。自分も他に熱心なジャニヲタであることを公言しているアイドルはほとんど知りません。もしかしたら、ファンに快く思われないかもしれない、そう考えるアイドルが多いのも頷けます。でも、みさきんぐは丸山担で、オレンジ。そんな彼女の趣味を快く思わないファンはほとんど居ないのではないでしょうか。なんかちょっとずれている、そこが愛おしい。しもんchu一の愛されキャラでした。

SMAPコンで買ってきたらしいマフラータオルを自慢するみさきんぐ 2012年8月

今思えばそんなに似てないのにその後ひたすら「ごはんですよ!」やら野球部員としていじられることになるみさきんぐ 2012年11月

ハロウィンにかこつけて好きなアニメキャラクターの眼帯コスをしてしまう痛々しいみさきんぐ 2012年12月

なぜか突然金髪のよくわかんない髪型になるみさきんぐ 2013年12月

そんな「自称コミュ障」のみさきんぐは、どうしてご当地アイドルになろうとおもったのでしょうか。そして、2014年3月に初期メンのまいちゃん・ゆいにゃんが卒業し、11月にしおりんも卒業し、残るメンバーが3期生のまいまいと2人だけになった時、どうしてみさきんぐはしもんchuを続ける決意をしたのでしょうか。自分は正直みさきんぐの中にこのしもんchuに対する強い気持ちが残っているとは思っていなかったし、しおりんがそろそろやめるという話を聞いた時に、みさきんぐも一緒にやめるのだろう、しもんchuも解散するのだろうと思い込んでしました。
しかし、しおりんが卒業した後、みさきんぐはしもんchuを続けました。たった2人で。それまでさんざん可愛がってもらってきた1期生が全員いなくなっても、後輩のまいまいをリードして、みさきんぐはしもんchuを続けていました。
正直、その2人のしもんchuのことは、自分はよく知りません。まりちゃんとゆいにゃんが卒業して、自分の中で「しもんchuは終わってしまった」と決めつけていました。例外は、砂沼サンビーチで例年夏に行われるイベント。2014年の夏も、2015年の夏も、このイベントにだけは足を運びました。
そして2015年8月の、最後の夏の砂沼サンビーチイベントで、あることに気が付きました。それは、みさきんぐがどんどん可愛くなっているということでした。ルックス面では、最初に出会った2012年の春では典型的な芋っぽい北関東人だなと思っていたのから始まり、うえに貼った写真からも感じ取れるように、2014年初頭まで色々な迷走?でみんなを楽しませてくれたみさきんぐですが、2014年の夏、そして2015年の夏と、間隔を空けて会ってみると、みさきんぐは見違えるように可愛らしく、魅力的になっていったように思いました。
アイドルを続けていると、どんどん可愛くなるというのは、他のアイドルでもきっと有り得る話だと思います。メイク技術の向上、人に見られ続ける影響。しかしなにより、みさきんぐの変化は、なにより心境の変化に起因する部分が大きかったのではないでしょうか。これまでは1期生に愛され、いじられ、遊ばれて、そして守られてきたみさきんぐは、しもんchuを変え、自分自身も変わっていったように思いました。
2015年8月のサンビーチイベントでは、まりちゃん・ゆいにゃんが卒業し、(音楽)プロデュース体制も変化した後に作られた、しもんchuの代表曲「恋の砂沼サンビーチ」のリミックスverが披露されるのを初めて(そしてそれが最初で最後でした)見ることができました。そこでは、サビの部分でみさきんぐとまいまいが観客のフロアに乱入し、一緒に輪になってぐるぐる回るという曲になっていました。
アイドルがヲタクと一緒にぐるぐる回る曲自体は全く珍しいことではありません。しかし、しもんchuで、そしてみさきんぐが主導して、恋の砂沼サンビーチがそういう「回る曲」になっていたことは軽い衝撃でした。というのも、これまで自分がずっと見てきたつもりでいたしもんchuは、メンバー間でちょっとヲタク側では理解できない不思議なやり取りがわちゃわちゃと繰り広げられて、ヲタクはそれに呼応するでもなく、東京のアイドルの文化の「常識」からするとこれまた何が原因なのかよくわからない、とりあえず下妻だからとしか言いようがない文化様式が繰り広げられていて、異邦人の自分はその双方に挟まれて突っ込むことすら困難でげらげら笑って終わるような、不条理感というか、とにかくアイドル側とヲタク側のディスコミュニケーションがすごくいいなと思っていて、下妻という独特の文化圏に迷い込んでも、アウェイすぎて結局居心地がいいというか、いわゆる「メンバーとヲタクが一緒になってつくり上げるホーム感」のような反転して部外者にとっては居心地が悪くなるようなものが全く無いのが魅力だと思っていたからです。それが、毎月通っていた自分が本当に年に2回見るだけになってからのしもんchuでは、みさきんぐは自分がどこか避けていた、そして自分が勝手にみさきんぐはそういうのは苦手なんだろうと決めつけていた、「アイドルにありがち」な「ヲタクと一緒につくり上げる空間の楽しみ」を主導していたことに驚いたのです。しかし、そこで自分はしもんchuやみさきんぐに幻滅したということは全く無く、むしろその逆で、2014年夏はアニソンDJに突如占領されたサンビーチとしもんchuの中で居場所がない自分たちが面白くて仕方がなく、2015年は「一体感」の中で居場所がなく、それはしもんchuから離れ、しもんchuも変わっていくのだから当然だよなあと、寂しとおもしろさが入り混じった不思議な気持ちになっていました。そしてその不思議な気持ちを肯定的に受け止められるのは、なによりみさきんぐが2人で頑張って彼女なりのしもんchuを作り上げているからという理由に他なりません。2015年の夏のサンビーチで、極寒でプールどころではなくしもんchu目当て以外にはほぼ客が居ないサンビーチの一角でぐるぐる回るしもんchuとそのヲタクを、20mくらい離れたパラソルの下のベンチから見ているとても感じが悪いであろう我々。そこにぐるぐる回っていたみさきんぐが飛び出してきて我々の元まで走ってきて、そして戻っていったときのことは今でもはっきりと覚えています。「きんぐ、変わったな。」「可愛くなったな。」いつものように「ヲタクの一体感」に対して斜に構えて終わることなく、みさきんぐの変化を肯定的に受け止められた、そんな瞬間でした。
そして最後の今日のサンビーチでも、そんなみさきんぐの最後の勇姿を見届けるべく集結した1期生の前で、みさきんぐはまいまいと一緒に堂々と滑り倒し、そして新体制・旧体制の曲を2曲ずつ、最後にアンコールで恋の砂沼サンビーチのオリジナルバージョンを、笑顔で、それはそれは楽しそうに歌いきり、しもんchu最後のステージを終えました。
他人の内面がどうこうと書き連ねるのは本当に身勝手ですが、それでもやはり思うのは、みさきんぐがしもんchuを経験して、内面的にも、外見的にも、とても魅力的な女性に変わっていったのを少し離れた距離から見ていることができて、本当に良かったです。ステージが終わって最後にまりちゃんたちと話している時に、きんぐは「明日からもう笑顔を捨てる」と冗談で話していましたが、明日から彼女が言う「ふつうの中のふつうの人」になったとしても、しもんchuで見せてくれた笑顔やおもしろさや妙な決断力や強い心をひっくるめた彼女の魅力を、これからの人生でもそのまま持ち続けて、幸せな毎日を過ごしていって欲しいと切に願っています。

2015年、自称・人造人型決戦兵器みさきんぐから「むかしの自分とは比べ物にならないくらい人間らしくなった」とブログで語る魅力的なみさきんぐ

まいまい

個人的にはまいまいについてはとても申し訳ないなと思うことが多いまま、ラストステージを終えてしまいました。
まいまいが3期生としてしもんchuに加入したのは、1期生のまりちゃんが休養したり、ゆいにゃんが専門学校の都合でそろそろ活動を続けるのが難しいということがわかっている時期で、まいまいはもう1年8ヶ月も活動をしているのに、自分自身しもんchuからめっきり足が遠のいたタイミングと重なってしまいました。ひさびさにサンビーチにやってきても他のヲタクが軒並み3ショを選択する中、写真のとおりみさきんぐとの2ショを希望しても嫌な顔ひとつせずカメラマンをやってくれるまいまいでした。
明らかに自分が1期生目当てで来てるなというのがまるわかりにもかかわらず、久々に足を運べば、こちらが恐縮してしまうくらいに来てくれたことを感謝してくれるまいまい。そしてそれを自然としもんchuの一員として軌道修正できないまま、最後まで「なんかごめんね」という気持ちで接してしまい、それこそ本当に申し訳ないという気持ちが残ってしまいました。
しもんchuは変わった、みさきんぐが変えた、という決め付けでつらつらと文章を書いてきましたが、当然しもんchuは2人、みさきんぐとまいまいでしもんchuです。新生しもんchuでのまいまいの貢献度は計り知れないはずです。みさきんぐにツッコミを入れ、時には一緒に悪乗りし、「それはないよ!」という懐かしいフレーズを自分のものにしながら、新しい掛け合いの形を作っていたまいまい。自分が見慣れてきた4人以上の振付をところどころ2人用に修正してみさきんぐと一緒に歌い踊るまいまいは、しもんchuを支えた唯一の3期生でした。

アイドルは終わるが人生は続く

http://ameblo.jp/shimonchu-misaking/entry-12055654485.html
「そろそろプライベートを優先してもいいのかなって思うようになって」
「わたしは今年の誕生日で25歳になるんです。少し前から、いつまでアイドルやろうかなって考えたときに、28歳でやってると思う?って質問に、たぶんやってない!って思って、27は?26は?って考えて、それもやってないかなって思ったんです。

25歳っていう区切りのいい歳で終わりにするのがわたしのなかでは一番納得できる感じなんです(*'ω' *)」


卒業を発表した時のみさきんぐのブログからの引用です。
我々は時に、アイドルが人生の全てであり、アイドルをやめてしまったら、その子は存在しないのと同義、と考えてしまいがちです。しかし、少し冷静になれば、決してそんなことはなく、その後も彼女たちの人生は続きます。
それでも、我々はアイドルを辞める決断に対し、理由を求めがちです。それ自体の是非は抜きにしても、例えば恋愛スキャンダルでアイドルを辞める/辞めざるを得ない場合でも、体調不良や留学、学業優先といったもっともらしい理由が語られがちです。そんな中で、みさきんぐは自然体で、「プライベートを優先したい」とブログに書いてくれました。これを読んだ時、自分はとても納得したし、その自然体なありかたがとても素敵だと思いました。
一般的なアイドルと比べるとほんの少し年齢層が高い、主に20代前半のしもんchuのメンバーたちは、学業や仕事と両立して活動を続けてきました。みさきんぐも働きながらしもんchuの活動を行っていました。仕事や、それ以外のプライベートも、敢えて書くのがバカバカしいくらい、彼女たちの人生において大切なものです。たとえばみさきんぐが丸山担ですと公言しても、それを必要以上に「ネタ」として解釈するでもなく(もちろん面白いことには違いないのですが)、彼女のパーソナリティだと受け入れる土壌がある下妻というある種のアイドル・ユートピアだからこそ、彼女たちは現実に対して我々の想像以上に目配りをしていたように思えます。歯科衛生士になったゆいにゃんをはじめ、手堅く資格を持っているメンバーも多く、通勤や生活のためにローンで車を買ったという話を複数のメンバーから聞いた時は、神奈川・東京とそれなりに都会暮らしの自分にはとても驚きでした。
とてつもない覚悟で、いままで女性ではほとんど例を見ない、「アイドルで在り続ける」という領域にチャレンジしている人々や、女優やタレントといった芸能の分野で生きていく人々ばかりがアイドルではありません。いわゆるご当地アイドルならなおさら。常に身勝手な我々であっても、アイドルのその先の人生へ進んでいくと決めたのであれば、その道を祝福してあげたいと少なからず思っているはずです。
しかし、アイドルがアイドルを辞めること、これを素直に祝福するというのは、頭ではわかっていてもなかなか気持ちがついていかないのも我々ヲタクの性でしょう。もっともらしい理由をほしがってしまうし、何かしらのイニシエーション、卒業の儀式がないと、なかなか気持ちを切り替えられなかったりします。
さらにいえば、気持ちを簡単には切り替えられないくせに、儀式を嫌う、そんなとてつもなくめんどくさい人種が一定数存在します。下妻というある種不条理なアイドル・ユートピアに迷い込んだ異邦人は、なにもしないこと・なにもできないことを自己肯定するのに必死で、大好きなメンバーの卒業ですら、何一つアクションを起こすことができず、ひとしきり泣いた後、一晩たってブログを書くのが精一杯でした。今回のみさきんぐとまいまいの卒業、そしてしもんchuの活動終了は、しもんchuから足が遠のいた身からしてみれば、然るべき時が来た、淡々とそれを受け入れるだけに過ぎません。
何かしなくてはいけないのではないか、そう前回のように悩むことは全くせず、ただ見届けよう、そう思ってやってきたラストステージ。自分では当然なにもしないくせに、ヲタクがもしなにか特別なことをやるとしたらにやにやしながらなんとなく気に入らないけどまいっか、そんな面倒な態度で始まった最後のセレモニーは、下妻市長からのしもんchuへの感謝の言葉と、「活動終了に伴うマイク返還式」という、The Very Bestセレモニーでした。

そして、卒業した1期生からの花束贈呈。

4年前に砂沼フレンドリーフェスティバルで結成されたしもんchuのラストステージは、同じく砂沼フレンドリーフェスティバルの一環として、司会者が進行し、市長、関係者、茨城のご当地アイドル仲間、大多数の下妻市民・茨城県民、そして一部の異邦人に見守られながら、大団円を迎えました。

この混沌としたなんともいえない幸福感。こんなにも不思議で、最後までとにかく暖かく賑やかに走り抜けたしもんchu。
最後までその場に居合わせることができたのが何より幸せでした。

最後に アイドルとのつながり

先ほど書いたように、今日は後輩たちの最後の舞台を見届けるためにまりちゃん、ゆいにゃん、しおりん、後もう一人名前を忘れてしまいましたが自分は初めて見る1期生が来ていました。
特にゆいにゃんと再開したのはまりちゃん・ゆいにゃんが卒業した時以来、1年7ヶ月ぶりでした。歯科衛生士として立派に働いているゆいにゃんは、ずっと黒髪で前髪ぱっつんの時もあったしもんchu時代とは見違えるように大人びていて、しかしいざ話してみるとあの頃のままのように気さくで相変わらず口が悪く、とても懐かしい気持ちでいっぱいでした。
アイドルをやめても人生は続く。同じ空の下で、どこかで生きている。それが東京、日本、あるいは世界という単位で抽象化され、ある種概念的な存在となっていく場合もあれば、しもんchuのように、茨城、下妻周辺、もっと言えばイオン下妻(「下妻のジャスコにはなんだってある」by下妻物語 そう、元しもんchuだって!)に行けば会える(かもしれない)ような存在の場合もあります。でもそんな下妻に迷い込んだ異邦人は、一度そのアイドル・ユートピア下妻物語ことしもんchuが終わってしまえば、もう足を踏み入れる理由なんて無い、車かTX+常総線で2時間の絶妙な距離感がいいよねとか言っている場合ではなく、具体的かつ絶望的に遠い場所になります。

自分が好きな東浩紀の著作に、「弱いつながり」という本があります。彼の著作の中では風変わりな、サラッと読める、批評や評論というよりも自己啓発本に近いタイプです。東が世界をめぐった経験や、福島原発問題を彼の大きな仕事として位置づけるという意気込みを込めて「観光」と「検索」をテーマに、昨今の情報化社会における身の振り方や情報との接し方について語られています。そこでは、詳しくは説明しませんが、「現実の偶発的で弱いつながりこそが大事」「軽薄で無責任な「観光客」のススメ」といった内容が書かれています。自分が本書を初めて読んだ時、あぁ、アイドルとの、もっといえば地方アイドルと自分の関わり方についてまさにこれなんだよな、と、東の問題意識をひとまず自分の趣味の領域に矮小化しつつ納得したりしていたのですが、今日ひさびさにこの「弱いつながり」のことを強く思い出しました。
アイドルと「繋がり」というと、過剰反応を起こすか、もうそのワード自体がネタとしてしか機能しない、そんな狭い世界で自分はくすぶっている気がします。しかし、たとえアイドルという狭い世界に限定したとしても、アイドルとの「つながり」はもっといろんな形があっていいし、そのなかでも自分は下妻で出会った人々、しもんchuのメンバーはもちろん、例えば毎月の定期公演で必ずランチで入っていていつの間にか顔なじみになってしまった全然客が居ないお店の店員さんなども含めて、「観光客」として、軽薄で無責任な形で関わった人たちとの思い出を大切にして、自己変革のきっかけとまでは行かなくとも、今の自分をなんとか自分という形に保っているパーツなんだなということを忘れないでいたいと思います。

軽薄で無責任な観光客を貫いた下妻は本当に楽しかったです。下妻自体はいつだって再訪できるでしょう。下妻のことは好きです。でも、やっぱり自分は下妻自体が好きというより、しもんchuと偶然であってしまった、しもんchuがいた下妻が好きであって、そこを飛ばすことはできないのだと思います。たぶんしもんchuの最後のステージには、ゆいにゃんたちは姿を見せるんだろうなとなんとなく予想をしていて、事実そのとおりで、逆に言うと、今後はもう絶望的に姿を見るきっかけが思いつきません。それは正直さみしいけれど、そういう見えない縛りのようなものがあるからこそここまで「アイドル」としてしもんchuのことを好きになれた、好きで居られたし、こんな偏屈で飽きっぽい自分でも、自分が大切だと思うものを形作れたのだと思います。
1期生のなかで、まりちゃんはまだアイドル活動(?)を続けています。まりちゃんになら、また自分勝手なタイミングで、軽薄で無責任に「観光客」として会いに行くことができるでしょう。しかし、それもいつまでも続くものではありません。
まりちゃん・ゆいにゃん・しおりんと話している時に、何気なく、「ここ1年くらいなんだかとっても停滞してる気がするんだよね。しもんchuのみんなに取り残されてしまいそうだよ笑」と言ったら、しおりんに「私たちは取り残したつもりはないんですけど笑」と笑顔で言われて、それはとてもしおりんらしく冗談めかして面白い言い方だったのですが、それを聞いて笑いつつも心のなかではハッとしました。しもんchuからそれぞれ別の人生へと進んでいくメンバーたちの後ろ姿を見ているだけではいけない。何のために軽薄で無責任な「観光客」として下妻に迷い込んだのか。それは本当に偶然だったとしても、そのつながりは、どんなに小さなことでも、自分の人生を幸せに生きるために、最低でも自分の大切なものを失わないようにするための命綱のような、無線ですら繋がっていない、弱くてたいせつなつながりとして大事にしていきたいなと思いました。


しもんchu、今まで本当にありがとう。