超線形プロセスと複雑系とtwitter

今日は「『実験とデザインの間をつくる』池上高志×藤村龍至×李明喜トークセッション」を聞いてきた。藤村さんの超線形プロセス設計に池上先生が突っ込み、李さんが司会・まとめ役&藤村さんと即席建築デザイン班を結成し池上先生に対抗、といった感じ。

まず李さんによるpingpongのプレゼンが始まったが、不覚にもかつて無い眠気に襲われここの記憶がほとんど飛んでいる。非常に悔やまれる。次に藤村さんが超線形プロセス設計をプレゼン説明。思想地図vol3に掲載された内容をわかりやすく噛み砕いたといったところ。15分の休憩時間の間にどっかで見た顔が飛び込んできたなーと思ったら濱野智史氏であった。
イベントがまずtwitterの実況用タグを決めるところから始まるというなんとも次世代ちっくなトークセッション、藤村氏と李氏はアップルのノートを並べててどことなくかっこいい!生まれて初めてiBook欲しいと思った。そして参加者もちらほらiphoneや携帯を片手にtudaりながらトークは進んでいく。そして今回のイベント用に作られたタグでまとめられたtwitter上の発言が李さんのiBookからプロジェクターに投影され、地味に聴衆参加型とも呼べなくも無い形でイベントは進行されていくのだった。

後半はいよいよ池上先生vs藤村さんのトークバトル(?)。

口火を切ったのは池上先生。つか建築あんま詳しくない人からすると、超線形プロセスって当たり前のことじゃね?と。うっわそれ最初に言っちゃうんだ俺も少なからず思ってたけどそこから入るんだとこっちがドキドキ。
池上先生の論点をざっと要約すると

荒川修作にみるように、建築において、ユーザーと環境との間に発生する居心地の悪さ・違和感*1がユーザーの脳を刺激し、それが建築を好きになること・飽きないこと・長く住むことに繋がる
・超線形プロセス設計では、ユーザーにとっての「快」を追求しているが、この快は刹那的なものであり、環境とのズレ・ノイズが発生しないのはかえってユーザーにとって不利益なことではないのか
・建築(環境)が人間を規定する。ユーザーを刺激するノイズは偶然生まれるものではなく、意図的にデザインするべきものではないのか


これに対して藤村さんは終始非常に答えにくそうにしていた。初めから終わりまで池上先生と藤村さんは今回のテーマにも含まれる「時間」の概念に齟齬があったと思う。それでも李さんややけにビルディングKに詳しい聴衆者の方にも助けられ、大体次のようなことを言っていた。

・超線形プロセス設計は設計者のための論理である。ユーザーも設計プロセスに参加する構図が理想だが、現段階では自分(設計者)がユーザー目線で考えてしまいがちである。
・超線形プロセス設計では資本主義合理主義的建築と異なり、固有の場所・環境を考慮した設計が行われるため、個々の建築は同じようで差が生じる。その差は池上氏の言うノイズの効用を満たすのに十分なものではないか。

イベントのラスト付近では、超線形プロセスは拡張可能性というメタボリズム*2の概念を内包するが、それが目に見える形で実装されていないという点で藤村氏はアンチメタボリズムを代表する存在ともいえる、という話に繋がったがここらへんの話は知識不足でいまいち理解しきれなかった。建築思想史の流れを語る上では重要なことなのだろう。

僕は池上先生や専門の複雑系については表面的な知識しか持ち合わせていないため、一見すると「建築なんて条件入れてコンピューターにシミュレートさせれば勝手に出来上がるよ」的なことを言うのかと思っていたらまったくもって真逆だったので自らの無知っぷりを反省するとともにとても興味深かった。アートとかそっち方面に関わってる先生なのね。まさか「環境と身体のズレを意図的にデザインしろ」なんて言うとは。

超線形プロセスでの設計は複雑系の考え方から見てどのように映ったのだろうか。イベントの最後で池上先生は「面白かった!複雑系なんてものは他分野にどう応用するかをどんどん考えるべきで、建築なんてとてもいい例だ」と仰っていたが、どう応用するの!?教えて!!わからん!!!
独立した個々の振る舞いが複雑に絡み合いやがてなんらかの統一意思を保持しているかのように創発が発生しましたよーすごいね!!ってのが僕の中での複雑系のイメージなのですが、これって藤村さんの超線形プロセスとはまったく異なるように思うのだが。はぁ。。。

アーキテクチャにおいて他者性を想像するということや、建築とアートの違いなど考えさせられる話題は沢山あった。しかしごくごく個人的な感想としては、こういう場でtwtter上で議論に参加するのは初めての経験だったけれどとても難しかった。つぶやくといってもその場の議論を自分なりにうまく消化して発言しないと何言ってんのお前となってしまうし、考えすぎていても話題が移ってしまう。結局あたふたしながら一言二言つぶやいてみたものの、今見直すともう馬鹿丸出しで恥ずかしい・・・


あ、今なんとなく思ったけど、藤村さんの超線形プロセス論は設計者と依頼者・周辺住民の間で設計のイメージを共有することを重視していたが、これが発展して多数の人間の間でイメージが共有されるようになると集合知万歳で複雑系ひゃっほう的なことか!??いやぜんぜん違うわやっぱりわからん

*1:要するにこの角邪魔だよなーよくつまずくんだよね、的なやつ

*2:黒川紀章のカプセルだけ交換すれば長持ちだよ!でももう古いから全部取替えちゃおう紀章先生ごめんね!っていう例のアレ