真央ちゃんと浅田真央

言葉にした瞬間に色々なものが失われるのはもちろんわかっている。でもなにか言葉にしなくては、と思ったので書く。女子フィギュアスケート


キム・ヨナ。金メダルおめでとう。文句の無い演技だったと思う。
ジュニアチャンピオンの頃は地味で顔もパッとしなかった。けれど一足先にシニアで結果を出した浅田真央と競い合い、常に1位を争い、演技の正確性と表現力を磨きをかけて今回のオリンピックでは文句の無いパフォーマンスを発揮した。
ただ惜しむべきは八百長疑惑。確かに韓国のバックアップ(サッカー日韓ワールドカップで余りにも有名な鄭夢準など)には疑わしい点が残るし、ここで詳しくは述べないが、プルシェンコが主張したように現在の採点システムでは審判の恣意性が介入可能であり問題が残る。
これらの問題はなによりキム・ヨナにとって不幸なことである。現在世界最高の女子スケーターであることはおそらく間違い無いのに、その価値が不当に貶められているのが残念でならない。


鈴木明子。初出場で8位入賞は立派。これならば中野友加里が選ばれなかったことにも文句は無い。ミスもほとんど無く、彼女のポテンシャルを最大限に発揮出来ていたと思う。滑り終わったあとの表情にそれが如実に現れていた。


ジョアニー・ロシェット。母親の死は痛ましいし、良く滑ったと思う。そこは素直に評価したいのだが、あの高得点と3位という順位には少々疑問が残る。


長洲未来。初めて全米を制しニュースになったときはちんまかったのに、いつの間にか身長が伸びていて演技もとても良かった。最終組の中で一番楽しそうに演技をしていて(カルメンと合っていたかどうかは抜きにして、苦笑)とても好感が持てた。スピンの美しさは文句なし。3位のロシェットとほとんど差は無かったように思われるし、まだまだのびしろがありそうなので今後に期待したい。余談だが栃木?*1と長野出身の両親を持つらしく個人的に顔も好感が持てる笑


安藤美姫。ジュニア時代の4回転の亡霊、トリノの失敗を振り切り、この舞台で見事に滑りきったことに拍手を送りたい。今まで見た中でも最高に近い演技だったと思う。ニコライとお幸せに。


そして浅田真央

初めて真央ちゃんの演技を見たのは、2003年のジュニアグランプリファイナルのニュース。小さな体でトリプルアクセルを成功させ、天真爛漫に踊る彼女を見てすぐにファンになった。
彼女の人を惹きつける力は天性のもので、まさに国民的アイドルである。
いつだかのエキシビションでは松岡修造に乗せられてほいほいとトリプルアクセルに何度も挑戦するわ、キスアンドクライでは常に愛犬の「エアロー♪」だわ、インタビューの受け答えでは常に日本語が噛みあっていない。天真爛漫、少々お馬鹿、平成美人的ななんともいえないルックスと、アイドル要素満載である。特に2006年シーズンのプログラム、チャールダーシュとノクターンは可愛らしく、真央ちゃんの魅力がこれでもかというくらいに詰まっていた。
必殺のトリプルアクセルは進化を続け、ステップからのトリプルアクセルトリプルアクセルからのコンビネーション、フリーで2回、そして今回のバンクーバーオリンピックでは最終的にSPに取り入れフリーと合わせ合計3回(うちひとつはコンビネーション)にまでたどり着いた。

身長の急激な成長やキム・ヨナとのライバル関係の過剰報道にスランプが重なり、トリプルアクセルが飛べなくなった時期には、日本中が驚いたと思う。「あの」真央ちゃんでも失敗することがあるのか。スランプがあるのか。悩みがあるのか。
そう、真央ちゃんはいつまでも可愛らしくなにも考えず悩みも無くトリプルアクセルが飛べる天真爛漫な天才ではなかった。タラソワコーチの元ではキム・ヨナに勝つために課題とされた表現力の向上を目標にし、2009年のプログラムではフリーにラフマニノフ「鐘」を取り入れた。ラフマニノフを表現するためにどれだけの練習を積み重ねてきたのだろうか。ましては表現力など簡単に身につくものではない。チャールダーシュを可憐に踊っていた少女は18歳になり、待ちに待ったオリンピックの舞台でトリプルアクセルを2回決めつつラフマニノフの世界を表現することを決めた。キム・ヨナに勝つために。
浅田真央」は出番を待つ間ずっとイヤフォンで音楽を聴いていた。ギリギリまでラフマニノフの世界を取り込もうとしていた。首を小刻みに動かしながら両手で耳を抑える彼女の表情は固く、天真爛漫という言葉からは程遠いものだった。

そして本番。リンクの中央に立ち、両手で自らの身体を抱えた彼女のシルエットはとても美しかった。
演技が始まり、いきなりトリプルアクセルが2連続で待ち構えている。一回目、そしてコンビネーションの二回目。共に回転不足のジャッジを気にする必要が無いほどの素晴らしいジャンプだった。
SPでも滑り初めの表情は固かったが、トリプルアクセルを見事にこなしてからは笑顔が戻り、いきいきと演技をこなしていた。完璧な演技に、滑り終わった瞬間笑顔がはじけ、高得点にはしゃいでいた。それでも、直後に滑ったキム・ヨナとは5点の大差がついた。フリーではキム・ヨナは直前に滑り終えていた。韓国のファンも多く詰めかけた会場は爆発し、150点というとてつもない世界最高得点が飛び出していた。浅田真央がその得点を知っていたかは定かではないが、会場の雰囲気からも、前日の結果からも、自分が完璧中の完璧の演技をこなしたとしても5点差を返せるのは相当厳しいことは理解していたはずであった。
トリプルアクセルを2回決めたあとも表情は固いままだった。もちろんラフマニノフ「鐘」の重厚な世界観を表現するためには笑顔は必要ない。しかしそこにはそれ以上に緊張が張り詰めていた。スパイラルシークエンスの後半、エッジを切り返したあと、指を広げピンと伸ばし仮面を作る際の表情は見事だった。
中盤のコンビネーションジャンプ。踏切の時点でバランスがおかしく、僕は「あっ」と小さく声を上げてしまった。なんとか着氷はしたものの、このジャンプの乱れで勝負は決まってしまった。その影響があったのかどうかはわからないが、その後のコンビネーションジャンプでもエッジが引っかかって跳べないという信じられないミスで、会場は凍りついた。勝負を決めるダメ押しだった。

一度崩れるとお後は悲惨な事になるのがこの競技のお約束である。今回のコストナーがそうであったように。
もうだめか。会場の観客、そしてテレビの前で見守るファンの殆どがそう思っただろう。

しかし浅田真央は崩れなかった。後半のサーキュラーステップ。音楽が盛り上がりを見せ、重厚というよりむしろおどろおどろしさが立ち込める中、浅田真央は鬼気迫る表情でステップを踊りきった。ステップのお約束である観客の手拍子はもちろんない。手拍子で盛り上がる音楽・雰囲気では無かった。恐ろしささえ感じさせるステップを終え、僕はその迫力に涙をこぼしそうになった。ステップが終わっても観客の拍手は無かった。ただ解説の八木沼さんだけが「この迫力は凄いですね・・・」と呟いていた。
ラストのビールマンスピンを決め、天井を向いて最後のポーズを決めた浅田真央。カメラが顔をアップで迫った画面の中で、口は歪み、まるで涙が溢れるのを我慢しているかのように上を見上げていた。


結果はもちろん大差だった。直後のインタビューでは涙に詰まり、二言目が出てこなかった。インタビュアーとの会話が成り立たないこと自体はいつものことではあるが、それでも気が動転していたのは確かだろうし、僕はもう見ていられなかった。


「真央ちゃん」あるいは「ミラクル・真央」はいつしか「浅田真央」になっていた。待ちに待ったオリンピックの舞台で、貪欲に勝ちを目指し、敗れ、そして泣いた。
天真爛漫・犬バカ・悩みなんて無さそう。国民的アイドルとしてわかりやすい記号はそこには無かった。小さくて可憐だった彼女は、身体の成長とともに、厳しい次のステップへ挑戦した。その手足の長い身体の全身全霊をかけて生み出される、重厚かつ恐ろしささえ感じさせる重厚な世界観。*2その確かな身体は、見事な虚構の世界と混ざり合い、そこにある何かわからないものに僕は涙した。成長してなお、浅田真央は立派なアイドルだった。僕は真央ちゃんも浅田真央も大好きだ。銀メダル、本当おめでとう。次の目標がどこにあるのかはわからないけれど、彼女はこれからも成長していくだろう。これからもいちファンとして、彼女のことを見守りたい。*3

*1:嘘です茨城だそうです。指摘ありがとうございます

*2:試合後に浅田真央自身が「よくわからないままに終わってしまった」と語るように、ステップに関しても演技が特にすぐれていたとは言えないという意見もあるかもしれない。しかし、金メダルには100%届かないという絶望感、そして観客のある種冷めた空気・目線の中、あの広大で冷たいリンクの上で舞う彼女の身体は、悲愴感と底知れぬパワーが一体となった何かを生み出していた

*3:表彰式での三者の涙が持つ意味はそれぞれ異なるものだった。すばらしい大会だったことは間違いないだろう