ゼロ年代総括?

2009年も終わりに近づき、ゼロ年代総括なるものが各所でプチ流行しているようだ。
個人的にこの10年を振り返れと言われると中学1年から振り返ることになりそれはちょっと範囲広すぎでしょということでここ2年ちょっとの大学生活を振り返ってみる。


まぁ一番大きな出来事は当然大学を留年したことなのだが、正直な話そのまま3年になり専門課程に突入することに対して大きな不安を抱いていたので、留年して正解だったかもしれない。


大学1・2年目は理系科目、特に遺伝子関連の生命科学・認知脳科学・進化論系の教養科目を中心に履修し、3年目の今年は、前期に日本政治を徹底的に勉強し、夏以降は東浩紀から入って現代批評・アーキテクチャ関連の分野にも手を伸ばしたと言う感じか。


もともと法学部を目指して大学に入学したものの、法学部=官僚or政治家or法曹養成機関という印象しか抱けず、意識的に法律分野の勉学を避けてきた。法学は学問としても専門性・独立性が高く、面白みが無いと感じていた。しかし1・2年で理系分野の学問に触れるうち、法学という系に対して認知脳科学や進化論の知識が流用できる部分があることに気づき、非常に興奮した。


3年目には初の選挙権行使を控え、自分に圧倒的に日本政治の知識が欠けていることに気づき徹底的に勉強した。自民党結成から麻生内閣に至るまで、派閥の論理や選挙制度が政治に与える影響力、世論と政治、「首相」とは何なのかといったものに自分の中で答えが出せるようになり、一層政治に興味が持てるようになった。


そして夏以降は東浩紀を中心としてアーキテクチャ論や現代批評を追うようになり、「法」というのは強力なアーキテクチャであるという単純なことに気づき、進化論や認知脳科学、はたまた(薄っぺらい知識ではあるものの)建築系にも興味が持てるようになり、法とはなんぞやというところにフィードバックできるような目線を手にいれることができたのはとても幸運だった。


来年以降は本格的に徹底的に(今まで全く無視してきたので)法学の知識を身に詰め込んで行かなくてはならないが、単に刑民憲法その他もろもろを丸暗記してテストで良い成績を揚げロースクールに入り法曹の世界に飛び出すのは耐えられないのである。各法の法体系がなぜその形に成っているのか、現実の社会にどう影響を与えているか、好ましいのか好ましくないのかという点が気になってしょうがない自分は、法学部の友人らにそんなこと気にするなとか学者になればと言われることもしばしばあったのだが、学者という生き方は社会へのコミットという点で(いや学者こそ社会に多大な貢献をしているという意見には賛成なのだがどうにも生理的に)躊躇してしまうのである。うーむ。


ぼやぼやまだ大学に通っている一方、どんどん社会に飛び出してゆく同級生たちには心の底から感心するばかりである。さすがは決断主義の申し子である(違う笑)。いやほんとに。我が母校の校風として「5年間遊びつくしたらラスト1年(プラス1年)でするっと大学に入ってしまう」ということがしきりに言われているのが、大学→就職のステップにおいても彼らの転身は見事である。


決断主義という言葉が出てきたところから察するように、ゼロ年代も終わりと言うことで宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」を読み直してみた。

ゼロ年代の想像力

ゼロ年代の想像力

いまさらこの本の紹介をするまでも無いと思うので説明は割愛する。


高校から大学にかけて田村ゆかり嗣永桃子といった「「アイドルとはなんぞや」を理解し、夢見させてくれる正統派アイドル(声優)」に自虐的に〜わかっていてあえて〜のめりこんでいった自分であった。しかしこの「あえて」の没入は90年代的なひきこもりはもちろん、宇野常寛の言う決断主義的とは微妙にニュアンスが異なるように思われる。よく自分は「ハレ」と「ケ」の喩えを使って説明することが多いが、彼女たちはアイドルとして宗教性を帯びる一方、「非日常」的な存在であるのだ。表面的にわかりやすくいうと日常・平日の大学生活←→土日のコンサート・ラジオといった図式であり、「アイドルオタク」の島宇宙に日常的にコミットすることも、既存のコミュニティで「アイドルオタク」として振舞うことも意図的には避けてきた(アニメについては大学入学以降ほとんど興味を失って知識もほぼ高校時代で止まっているのだが、「アニメオタク」扱いされることが時折あったのはなぜだろう。隠しきれないオタクオーラがにじみ出ていたのだろうか。残念。)。しばし「日常で満たされない恋愛を埋めるためにアイドルに対して「擬似恋愛」している」という言説がよく見られるが、個人的にはそうではないアイドルの楽しみ方があると思うし、はてなtwitterで見る限り、自分と同じように思っているアイドルオタクも少なからず存在するようである。自分のなかでは恋愛とアイドル愛は全く異なるのだ。(もちろん擬似恋愛を楽しんでいる人々も多数いる)


まだうまく説明し切れないが、ポスト決断主義的な、10年代において日常をより良く生きるためのアイドル論なんかもぽつぽつと書いていきたいな、と思う。


というわけで1月に入ったらアーキテクチャ現代思想・批評はひとまず保留し、2月後半のテストに向けて死ぬ気で法律を勉強しないとまずいのである。